東京都による大学破壊を歴史に刻む
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大学教員の職責を問う ––研究者であると同時に教員であること––
都立大院生
2004.8.20
 

 私は東京都立大学大学院に学籍をおく者として、教員諸氏を批判する資格がある。そして、教員諸氏は、当然学生からの批判を受ける立場にある。こうした前提から、以下に、都立大の教員諸氏にその職責を問う。

 大学は教育研究機関としての専門性ゆえに行政の管理に馴染まず、また公権力が学問に対して選別介入してはならないことは言うまでもない。したがって、大学は「自分のことは自分で決める」しかなく、また、そうでなければならない。すなわち「大学の自治」である。大学教員は、研究者であると同時に教員である「教員研究者」であって、「大学の自治」の当然の帰結として、大学の意思決定に参加し、学内行政に携わることになる。大学は「トップダウン」ではなく、むしろ「ボトムアップ」な組織である。

 東京都の蛮行に端を発する都立大問題は、「学問の自由」および「大学の自治」そのものをめぐる問題となるはずであった。しかし次第に、教員の待遇や雇用、研究費の配分など各論的問題へと矮小化されていった。なぜか。その理由は、大学側が権力から守るべき価値をあまりに軽く考えていたからである。

 自ら権力に取り込まれていこうとする者は論外だが、現在の都立大の教員には「面従腹背」とする者が多いであろう。都の強引なやり方は気に入らないが、生活がかかっているので首を切られたら困る。つまり、本心では従わないが真っ向から楯突くような真似はしない。新大学にとりあえず就任するが、機会があれば他大学への転出をねらっている。言ってみれば「面従腹背」とは、自身の将来について慎重な選択をした反面、都立の大学の将来について非常に無責任な態度を取ったと言えるだろう。

 生活がかかっている、とおっしゃるだろうか。よろしい、そうした声には次のように答えよう。あなたが今のポストを得るとき蹴落とした人たちは、現在どうやって生活しているのだろうかと。そもそも学問に生きることを選択した時点で、学問にくたばることは織り込み済みではなかったか。趣味の延長で学問を職業にしてもらっては困る。学生も学問に人生をかけているのである。

 学問において「名を捨てて実を取る」ということがあり得るのか。研究者は、研究に従事すること以外には自らの存在理由を見いだせない。そして、その研究には、自らの名において責任を負う。すなわち「名は体を表す」のである。他方、教育において、服従した面(おもて)で学生と向き合う大学教員は、ペテン師に等しい。そうした大学教員によって、学生は真の学問に接することを妨げられるのであり、したがって学生に対して教育どころか害悪をもたらすことになる。

 教員研究者である大学教員の「面従」は、学問の純粋性を傷つけ、学生を欺き、すなわち「学問の自由」と「教育者としての責任」を放棄する。「腹背」は、表に出ないのだから個人的問題に過ぎない。しかし研究は、研究者の出世の手段であってはならず、ただ「真理の探究」を目的としなければならない。研究と教育を職業にする以上は、自らを研究と教育の守護者と任ずることになる。

 私が研究者としていかに非力であるかは百も承知である。しかし学生も「真理の探究」のプロセスに参加している以上は、「学問の自由」を享受する。私たちに希望をもたらすのか、それとも失望させるのかを選ぶがいい。あなた方の一挙一動は、あなた方が思う以上に、注目されているのである。

都立大の風景
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