東京都による大学破壊を歴史に刻む
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ポーカス博士の「沈黙宣言」に寄せて
都立大院生
2004.12.1
 

 私がこのような文章を書くことは分不相応であり、恥ずかしいばかりである。それでも、もし許されるならば、ほぼ一年間にわたって都立大問題について「声」を上げ続けたポーカス博士に、最大限の賛辞をお送らせていただきたい。そして、メッセージの受け手の最小限の義務として、「声」が聞こえていることをお伝えしたく思い、筆を取らせていただいた。

 肥大化した一部のメディアのみが言論を選別する中にあっては(それはほとんど権力か暴力と同化しつつあるが)、渾身の思いで振りしぼった個人の叫びでさえ掻き消されてしまう。そして、逆風の中で声を上げることはそれだけでひどく体力を消耗する。それにもかかわらずポーカス博士は、約一年間にわたって、休むことなく声を上げ続けた。それも、強い信念と優れた観察力を併せ持ち、都立大問題に関心を持つ多くの人々に、重要な情報を平易な文章で発信し続けた。私から見たら超人的活躍であり、感嘆するばかりであった。

 過日、私はクビダイドットコムに「大学教員の職責を問う -- 研究者であると同時に教員であること --」を書かせていただいた。あのような文章を書くにあたっては様々な逡巡と葛藤があったが、おそらく、ポーカス博士とどこかで共通する認識があったと思う。私はこの「改革」と対峙するとき、次のようなことを強く感じていた。

 「この『改革』において、中立という概念は成立しない」

 これは、私の中でどうしても動かせないものであり、これ自体については疑問を見いだせない。なぜなら(内容については、とりあえずおいておくとしても)「首大」はその成立過程において著しく正当性を欠くために、存在が許されない「物」だからである。

 こうした中で、都立大の構成員それぞれの立場を考えてみる。教員はどのような存在であっただろうか。就任承諾書を出せば「首大」の設立に参加することになり、それと同時に都立大の破壊を容認することになった。(以前も書いたが)それぞれにキャリア形成や生活があるとしても、学問を職業とする人々にとって、そうしたことが自身の選択を正当化しうるだろうか。自分の生活を守る代わりに、先人達が築き上げた教育研究の場を破壊した。これは動かせない事実であり、この矛盾を抱え続けることからは逃れられないだろう。矛盾を感じないのであれば、その人格を疑わざるを得ない。

 学生の場合はどうだろうか。研究や勉強をする「場」を使うだけ使って、それを自分で守ることをしなければ、やがてその「場」は使い果たされるということだったと思う。自分の在学期間中は大丈夫などと、たかをくくっているのであれば、それを恥じるべきである(もっとも、大丈夫ではないことは明らかだが)。高校生や中学生の弟妹がいらしたら、彼ら彼女らの大学進学の選択肢を一つ失ってしまったことにお気づきだろう。結局、都立大に関わる人々は、選択の機会を免れることはなかったと思われる。

 糾弾されるべきは、想像力の貧困さ、ならびに、同じ大学の構成員への思いやりのなさである。自分の学部学科を守るためには、自分の研究室を守るためには、自分の在学期間中は、と言い逃れをして体面が保てたと思っていらっしゃる。その浅はかな考えに権力は浸入して、数千人の構成員からなる都立大が、ほんの一握りの人の思うがままに破壊されてつつある。

 自分さえよければいいのですか。「お上に押さえつけられて、仕方がなかった」とでも言うのですか。

 60年ほど前に、同じようなことがありませんでしたか。

 自分には関係ない、あるいは、どうせ何をやっても変わらないという考えは正しいだろうか。都立大問題に限らず、イラクへの自衛隊派遣、武器輸出三原則の見直しなど、今、日本はかつて無い方向へ大きく梶を切ろうとしている。重要なことが雰囲気で決定されていく。それが昨今の右傾化ポピュリズムの根源ではないだろうか。本当に関係のないことだろうか。本当に何も変わらないのだろうか。実は、そのように思いこんでいることは、自分自身で物事をすることが面倒なだけではないか。 誰かがやってくれる、悪いようにはしないだろうなどと信じているのではないか。

 今現在も、病気、災害、戦争、圧政に苦しんでいる人々に思いを馳せるのと、無関心でいるのとでは大きな違いである。巡り巡って「どこかでつながっている」、「何もしないよりかはまし」と考える方が建設的ではないだろうか。どんな状況であろうと、とにかく「声」をあげてみる。その大切さを教えてくれたのがポーカス博士であると感じている。

 都立大問題では、多くの人が傷つき、苦しんでいる。眼前を非常識なことがまかり通っていることは、それだけで大きなストレスである。私自身も心身の健康を害してしまった。しかしそれでも私が「声」を上げようとしているのは「人の強さとは何か」を確かめたいからである。為政者は任期が切れれば、素知らぬ顔をして責任など取りはしない。今どんなに権力を振るおうとも、数を頼りに圧倒しようとしても、そんなものは人の強さではない。だからそれに屈する必要はない。物事が始まるのも、人々が試されるのも、実はこれからである。

 現状分析としては誠に拙いばかりであるが、以上をもって、ささやかながら「ポーカス博士へのオマージュ」に替えさせていただきたい。最後に、ポーカス博士が早期にご健康を回復されて、新天地で活躍されることをお祈り申し上げます。

都立大の風景
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