東京都による大学破壊を歴史に刻む
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 読売新聞2004年4月7日朝刊より引用

東京都立の4大学を統合して来年4月に開校する予定の「首都大学東京」について,都は6日,「経済学コース」の専任教員に採用を見込んでいた都立大教員12人全員が,都の大学改革に反発して就任意思を示さなかったため,同コースの設置を断念した。

...

この12人は,いずれも世界水準を目指す研究計画に文科省が補助金を出す「21 世紀COEプログラム」に選ばれた研究グループのメンバー。1月には「都の改革方針は研究機関としての大学の機能を軽視している」などとする声明を発表していた。

私たちは、「就任承諾書」なる書類を受け取りませんでした。それ以前に問題となった(首大への就任についての)「意思確認書」の提出を保留したからです。その顛末は、以下の文章*1に詳しく説明されています。

ご意見・ご感想は、toda AT kubidai DOT com までお寄せください。

東京都立大学経済学部 浅野皙・戸田裕之
2004.7.9
 
都立新大学構想の評価と経済学者たちの選択
東京都立大学経済学グループ 浅野皙,神林龍,戸田裕之,村上直樹,脇田成
2004年6月8日
 

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はじめに

2004年2月,「首都大学東京」 (以下,新大学) の設置申請を控えた東京都大学管理本部 (以下,管理本部) は,新大学の具体像を明らかにできぬまま, 現都立4大学全教員に対して新大学への就任意思を表明するよう求めた。すなわち,「意思確認書」 (以下,確認書) の提出要求である。

我々都立大学近代経済学グループ*2 (以下,経済学グループ)は,設立予定の新大学が,これまで通り大学の研究機関としての機能を重視して行くのかどうかまったく不明であるとして,確認書の提出を保留した。経済学グループは,文部科学省21世紀COE (国際的研究拠点:Center of Excellence) プログラムに採択されている。COE選定審査において現都立大学総長は,大学が研究拠点構築を全面的に支援することを文部科学省に対して言明した。我々は,新大学がこの姿勢を継承する意思を持つことを具体的に示すよう,大学管理本部に要求したのである。もっとも,この問題は2月の確認書提出要求を契機として始まったわけではなく,03年度秋以降,我々は一貫して上記の点を問題としてきていた。

これに対して管理本部は,我々の再三の話し合い要求にも関わらず,その後4月上旬までの間「確認書を提出せよ」という通告を繰り返す以外の対応を実質的にとることはなかった。結局,04年4月上旬,経済学グループの大半 (12名) が確認書を提出しなかったことをもって,管理本部は経済学コース(学科)を削除した新大学案を公表し,大学院構想においても経済学グループを排除することになる。同月下旬,東京都はこの案に基づいて新大学の設置認可申請を行った。

本稿では,東京都による大学「改革」の根本的な問題点を分析することを通じて経済学グループのこれまでの行動の理由を説明し,確認書非提出を貫くという選択に至った経緯を明らかにしたい。

その前にまず,新大学に経済学コースが設置されないことの帰結として今後履修上の不利益を被るであろう学部学生および大学院生諸君に対して,説明が遅れたことをこの場を借りてお詫びしたい。また,ご心配いただいた数多くの皆様,声明等で激励頂いた諸団体の皆様に御礼申し上げたい。

我々は,現在の学部学生,大学院生諸君の教育に最大限の努力をする覚悟である。ただし,今後確認書非提出者が東京都から理不尽な扱いを受けることは必至である。既に都立大学においては,新大学とは何の関係もない今年度の研究・教育予算において,確認書提出者と非提出者の間で大きな格差がつけられている。来年度になれば,図書館・研究室が使えなくなることも噂されている。これに対し,都立大学に留まり,あくまでもその不当性を訴え続けるという選択肢もある。しかし,自らの価値を評価されない職場から適切に評価される職場へと移ることは,個人の見地からのみならず,資源の最適配分という社会の見地からも望ましいことは自明であろう。従って,もし現在の方向で「改革」が進んだ場合には,我々がそう遠くない将来,現職から転出することになるであろうことを了解しておいて頂きたい。


意思確認書提出保留の根拠

東京都の新大学構想の欠陥は,様々な観点から指摘し得るし,実際いくつもの側面において批判がなされている。我々もその多くに基本的な判断を共有するものである。しかし,ここでは,次の観点から新大学構想の持つ根源的な問題を指摘したい。

一般に,組織やルールの改変が正当であると評価されるためには,

  1. 改変内容が合理的であること
  2. 改変手続きが正統であること

(の両方あるいはどちらか) が必要とされる。我々は,現在までに明らかになっている新大学構想はこの条件を共に満たしていないと考える。それゆえ,我々は新大学への就任の意思表明を保留した。以下,新大学の内容的非合理性および手続き的非正統性について述べる。


内容面での非合理性

どのような組織にあっても,その効率的な運営のためには構成員に対する適切な評価体系が必要となる。したがって大学組織の場合は,その主要な構成員である教員に対する研究・教育両面での適切な評価体系を持てるか否かが,高等教育機関としての質を決める重要な要因となる。本節では,新大学の内容的非合理性について,評価体系の適切性という視点から論じる。

今般の「改革」では,「外部評価」の導入が喧伝されている。具体的には,外部識者による評価にもとづく研究費配分や人事考課が謳われている。全国的な「大学改革」の流れのなか,「外部評価」に反対するものはすなわち既得権益に固執するものであるという連想を抱きがちである。しかしながら,この連想は,外部の評価が常に適切であるという暗黙の仮定に基づいている。以下で我々は,「改革」の経緯から推察される管理本部の「外部評価」の内実を明らかにしたい。

現都立大学,とりわけ経済学グループは,様々な施策によってより良い評価体系の整備・構築に努めるとともに外部からの高い評価を得るべく腐心してきた。制度面では,教員相互の内部評価からの脱皮を図るため,学生による授業評価を定期的に実施している。また経済学部では,はやくから助手の任期制を導入していた。人事考課の面では査読制学術雑誌掲載論文による研究業績にもとづいて厳格に採用,昇進が決められており,研究実績本位の採用により,首都東京に位置するという地理的優位ともあいまって全国有力大学との競争の中で優秀な若手研究者を獲得することに成功してきた。大学評価学位授与機構による評価 (第三者評価) を受け,科研費の獲得が奨励され,それぞれ良好な結果を得ている。

2003年7月,経済学グループが,その研究教育実績への外部からの評価として,文部科学省によりCOE研究拠点の一つに採択されたことはそのような努力の成果である。成果を数値化するのは困難であるが経済学者の業でもある。数字で見るなら,東京都から経済学部に配当された継続図書類費を含む2003年度研究費総額が3,700万円余であったのに対し,経済学部教員総数の半分以下の16人からなる経済学グループが支援予定期間5年,初年度7,700万円超,次年度7,000万円超もの外部資金獲得の見通しを立てたのである。

しかし,「外部評価」の積極的な導入を唱える当の管理本部が経済学グループに下した評価は,これら外部からの評価と全く相反するものであった。すなわち,新大学における経済学グループの教員定数 (ポスト数) を,現都立大学における定員18名から,COE事業推進者総数16名を下回る13名とし,余剰人員とされた3名を経営学グループに繰り入れるという配置案を提示した。この配置案は,COE拠点形成に何よりも重要な人的資源の削減を迫るものであり,我々には到底受け入れられない評価であった。この問題を「既得権益への固執」としてみる向きに対しては,研究・教育機関としての大学においては,他の多くの組織と同様,人的資本こそがその最も重要な構成要素となること,さらに,大規模な実験設備等を要する理工系と比べ経済学分野では人的資本の比重はさらに大きいことを指摘したい。この視点からすれば,ポスト数の設定こそ管理本部がもっていた最大の評価手段であり,その結果は上述の通りであった*3

ここで,経済学分野のみにかかわるものではないが,COEの果たすべき主要な任務のひとつである大学院博士課程における研究者養成体制について触れておかなければならない。そもそも改革においては,大学院は新大学学長のリーダーシップのもとに検討する予定とされていたが,学長予定者は2004年2月まで決まらず,実際の検討はそののち大学院検討部会が2回開かれたのみである。東京都の方針としてこれまで明らかにされたのは,「ロースクール」「ビジネススクール」「産業技術大学院」などの修士レベルにおける実学重視の社会人教育についてのみであった。「ナノテクセンター」の設立が検討され,新たに修士レベルの雑学コースを重視するという方針が打ち上げられる一方,基礎研究分野への基本方針はいまだに明示されず,どの様な分野に博士課程が設置されるかさえ今後の検討課題とされている。このことは,新大学では研究機関としての大学という側面が軽視されることの表れであると解釈せざるをえない

また,COE事業の事務的な協力体制の整備が不十分な状態にとどめ置かれた。詳細は略すが,補助金交付に伴う事務量の増大が予想されたにも関わらず,東京都の硬直的な規制が様々な局面で障害となり,専従事務員の雇用や事業推進室の設置は大幅に遅れ,ようやく体制が整ったのはもはや04年度末のことであった。

次に,都立4大学全体に対する管理本部の不当な評価の例として,04年度の研究費配分に対する経営準備室 (室長は新大学理事長予定者) の介入をあげよう。今年度の都立4大学の研究費は,新大学の経営準備室なる組織が学内から応募された研究プロジェクトを評価し,それに基づき傾斜配分することが通達された。しかし,この研究費には確認書を出していない教員は応募できないとされている。ただし,定年退職や,事前に他大学に移籍が決まっていたため,確認書を求められなかった教員は応募できる。さらに,確認書を出したがその後に,他大学に移籍が決まって新大学に参加しない教員は応募できるとしている。

これは,まだ発足してもいない新大学の理事長予定者が,将来新大学へ就任する意思を持つか否かという本来無関係なはずの基準によって,現大学の教員の基礎的研究条件を決定するということであり,4大学教員からは多くの反対の声が上がっている*4。 ところが,この点についての毎日新聞の取材に対し,管理本部は「反対する人は外部から評価されることをいやがっているのではないか *5」と答えている 。

以上の経緯から明らかなことは,我々を含む世界のほとんどの人々が考える「外部評価」と,管理本部の考えるそれは,明らかに異なるということである。以下,敷衍しよう。

まず,「評価」についての致命的な誤解を排除する必要がある。重要なのは単に「評価する」ことではなく,適切な評価基準に拠りそれを行うことである。さらに,評価体系が依拠する基準は誰がみてもわかる透明なものであることが望ましい。さもなければ,そもそも評価が適切であるか否かを客観的に判定することは困難となる。もっとも,組織における評価体系についての最近の研究によれば,明示的な評価基準がなくとも,評価者を評価する仕組みが備わっていれば,組織は効率的に機能する可能性がある。多くの民間企業では,基本的には組織の上位階層の者が下位階層の者を評価し,最も上に位置する経営陣は株主や債権者などによって評価される仕組みをもつ。さらには,評価主体に発生するバイアスを可能な限り取り除くため,複数の上位層からの評価を受けるような制度,同位層あるいは下位層による評価などが重層的に組み合わされたいわゆる「360度評価」を導入する場合もある。

適切な評価体系とは,その公平性が構成員間で共通に認識され,適切なインセンティブを与えるようなものであり,上記の諸条件を満たす必要がある。ところが,管理本部が従っていると推察される評価体系はこれら諸条件を満たしていない。特に,評価者のバイアスを取り除く重層的な仕組みが全く取り入れられていない。なるほど,理事長職と学長職を分離し「効率的な経営」を目指すのは正しい方向かもしれない。しかしながら,彼らの評価を再評価する機能が組み込まれていないばかりか,その拠って立つ基準も明らかではない。「民間企業並み」の組織改革を目指すとしながらも,適切なコーポレート・ガバナンスの仕組みを全く欠いているのである。

「外部評価」という際の「外部」についても付言しておこう。外部評価が効率的に機能するためには,評価者が当該事項に関して十分な知識や情報を持つ独立な第三者であることが必要である。

全国の大学が研究機関としての総力を挙げてCOE獲得を目指したことは周知の事実である。そこでは,審査委員・基準・採択理由などがすべて公表されている。経済学分野では20名を超える世界でも一級の専門家による審査を経て,8つの大学が選定された。我々は,このような「外部」に評価されたのである。

上述の研究費配分の例を考えよう。毎日新聞へのコメントを見れば管理本部が考える外部とは,理事長予定者が長を務める新大学経営準備室であることが明らかである。そのメンバーには新大学学長予定者,および,管理本部長が含まれている。すなわち,外部とは彼ら自身に他ならない。現都立4大学の教員ではないという意味でならば,彼らは外部の人々である。しかしながら,COE選考過程と比較するとき,管理本部の考える「外部」とは,そもそも新大学構想の当事者であり,十分な知識や情報を持つ独立な第三者ではない。

新大学構想は,現在の都立4大学が持つ研究・教育機関としてこれまで築き上げた成果 (資産) をどのように評価し,これまでの改革案のどこが問題であるのかを明らかにした上で,合理的な内容をもって提出されるべきである。しかしながら,管理本部はこの任務を遂行するための合理的な評価体系を欠いている。あるいはそのような評価をする意志すら持たないまま,全く恣意的に「改革」を進めている。評価体系が明示性や一貫性,または重層性を欠くとき,組織が効率的に機能することはない。新大学構想は,「成果主義」の標語に踊らされて自らの評価体系を変更し次々と失敗した一昔前の多くの企業と同じ轍を,律儀にもいまふたたび踏もうとしている。勉強不足のコンサルタントの口車に乗せられたとすれば笑い話で済むかもしれないが ,それによって失われる人的・物的資産の膨大さを考慮すれば,これは看過できる問題ではない。 


手続き面での非正統性

「改革」についての一般の受け止め方は次のようなものかもしれない。「300万人の支持を得た都知事のトップダウン改革だから従うべきだ」,「反対するのは既得権にしがみつく一部の教員に決まっている」,「都財政逼迫のおり,都立4大学改革は当然である。」等々。しかし,都の四大学の統合・再編では普通に想像する「トップダウン」や大学「改革」とは全く違ったレベルのことが行われてきている。

都知事が選挙で勝利したからといって,「全く新しい大学」を作るために無制限の権力が付託されたわけではない。新大学は現大学の教員と設備の改組移行によりつくられる以上,それに関わる人々の納得を得ることは改革の社会的公正さを示す上で重要な要件となる。もちろん,組織の変更に関してすべての関係者の納得を得ることは困難かもしれない。しかしその際は,周到な手続きを踏み,内容的に多少の反対があったとしても手続き的な正統性を確保するのが現代社会のルールである。前述のように新大学の計画がずさんなものであったとしても,もし設置者が周到に手続きを踏んでいれば,ある程度仕方がないと考える方もいたであろう。ところが,新大学構想はこの手続き面での正統性も欠いている。

まず,今回の東京都大学「改革」では,大学運営・経営に経験も知識もない官僚が知事により管理本部に配置され,大学の理念・将来計画もどきをたかだか数ヶ月あまりで作成したことを想起する必要がある。2003年12月に報道された通り,3000万円もの大金を投じて大手予備校である河合塾に「都市教養」学部の基本理念の設計を管理本部が依頼したのは,管理本部には大学運営の知識・能力がないことを如実に示している (ちなみに03年度経済学部の研究費の当初配当分は1700万円余。別途問題となっている評価配分枠の上限を加えたとしても2700万円に過ぎない。)。

そして,新大学構想の唯一の公式検討機関とされた教学準備委員会においては,都立4大学からの委員は個人の資格での参加とされた上,実質的な審議は行われなかった。委員会の場では管理本部案が2時間の会議時間の大半をかけて発表され,実質的な討議は行われておらず,議事録も作成されていない。わずかに残された時間で議論が行われ合意・修正されたかに見えた事項も,次回会議時には無視・否定され,管理本部案のみが既に決定された方針として進められた。教学準備委員会は上意下達の場でしかなかったことは「改革」に肯定的あるいは従順であった委員ですら否定できない事実である。

さらに,教学面における大学設計のトップとなるべき「新大学学長予定者」が2003年2月中旬にいたるまで決定されなかったことは,新大学における研究・教育の基本的骨組みが,教学の現場にまったく無知な管理本部の意向によって作られたことを如実に示している。中身不明の「全く新しい大学」への都知事の意向を斟酌し,何をさておいても 05年度開学をただ目指した管理本部がこれまでに取ってきた行動は,法治国家をすら否定するものである。

「新大学」は,既に多くの教員(および,学部学生,大学院生等)を有する現大学を改組することにより形成されるものである。様々な学問分野の専門家集団から構成される大学の設計に際し,必要な知識と経験を有する現大学構成員の参加を拒み,合理性も正統性もまったく担保しない体制からは,何も生まれないだろう。


経済学グループに関わる2004年1月以降の経緯

本節では,経済学グループの視点から,主に2004年1月以降の動きを時間軸に沿って簡潔に述べる。我々は04年1月14日経済学グループ声明 (COE声明) を発表する。それと前後して大学内外から「改革」の進め方に批判的な多くの声明が出された。 都立4大学教員有志の,「開かれた協議体制を求める声明」には,全大学教員の過半数,都立大学のほぼ2/3の教員の賛同が寄せられた。ただし,反対の論調の多くが改革の「効率追求,市場メカニズムの利用」,近視眼的な「成果主義」に対する批判・疑義であったのに対し,我々の立場は異色であった。

第一に「効率追求,市場メカニズムの利用」は経済学の基本的立場であり,我々は如何に効率的な制度を設計するか,またそのためにどのように市場制度を改良すればよいかを研究している。第二に,成果主義とは,望ましい評価システムはどのようにあるべきかを求めるものであり,それらは我々の研究目的とも合致する。繰り返しになるが,COE声明の最大の論点は「改革」が研究機関としての大学の側面を軽視していること,そして,効率性の面からも評価システムの面からも「改革」は全く合理性を欠いているという点にあった。

しかし,大学構成員の声を無視して管理本部は強引に「改革」をすすめる。2月初めには,本稿冒頭で言及した「意思確認書」を,教員の自宅に配達証明つきで送付した。その提出期限は2月16日とされ,それまでに署名,捺印して提出しなければ新大学に参加させないと通告した。このような市民社会の常識からも逸脱した手法は強い反発を受け,最終期限をはるかに過ぎた2月末になっても,新大学就任予定とされた約520名のうち約60%しか確認書を提出していなかった。この時点で提出を保留していたのは,都立大学理学研究科および人文学部教員のほぼ全員,法学部の一部,および経済学グループなどをあわせた200名余りであった。

正式に西澤潤一氏が新大学学長予定者として公表された2月中旬以降,管理本部は「確認書を出さない教員は新大学には参加させない。これまでの構想に従い,確認書を出した教員だけが新大学に加わり,欠員は公募によって充足する。これが最後である」と最後通牒を数回にわたって繰り返した。その結果,3月上旬にはそれまで大多数が提出を保留していた理学研究科は,確認書には法的な拘束力はない,文部科学省に提出する新大学への就任承諾書を出すか否かは別問題であるとして一括して提出した。つまり,形だけ従い多数の教員が「彼ら」の側に参加することで実質的な協議を実現しようと図ったのである。

これに対し,管理本部は協議の場を作るどころか,3月9日に山口管理本部長および西澤学長予定者の連名で4大学教員に向けて「改革である以上,現大学との対話,協議に基づく妥協はありえない」,「確認書を早く提出した教員と3月に入ってから提出された教員には何らかの仕切りが必要である」,「公に改革に批判を繰り返す人たちは,確認書が提出されたからといってなんらかの担保がないかぎり,新大学には参加すべきでない」と公言した(いわゆる「3.9恫喝文書」*6)。都立大学評議会は即日このような文書は承認できない旨の見解を発表したが,今日に至るまで無視されつづけている。

一方,2月中旬までに公表された新大学構想は,改革の目玉である「都市教養」学部の理念,カリキュラム自体をはじめとして具体的内容が欠落していた。注目すべきは,新大学における大学院が,別途検討の上,学部から1年遅れの2006年度から発足するとされたことである。2005年度については現行の大学院を「暫定大学院」として1年延長するものとして申請すると言われている。これは高等教育機関の車の両輪であるべき教育と研究のうち,研究体制の検討を後回しにして教育だけを先行させるという信じられない措置であった。実際,文部科学省の大学設置審議会の運営委員会に2月段階での事前申請が受け付けられなかったのは,このような大学設置申請書類・手続き上の不備によるといわれている。さらに,多数の教養科目担当者が所属する人文学部の教員の参加無しには申請が行えないという事情もあり,事前申請の次の機会である3月初旬には東京都側から申請を取り止めている。

東京都はこの事態に対し,譲歩を示したかに見えた。3月23日現都立大学総長を含む4大学学長と管理本部長,理事長候補者の懇談会が行われ,総長はその結果を「話し合いが行われたこと自体を評価したい,これから管理本部は協議を行っていくと考える」旨のメモを全学教員に配布した。このメモ (総長メモ) はそれまで提出を保留してきた人文学部と経済学グループに向け,確認書提出を促がすものであった。また,うやむやな中で「3.9恫喝文書」を無力化したい,犠牲者を出したくないとのwishful thinkingがあったと解釈するのが妥当であろう。

これに対し,それまで確認書提出を拒んできた人文学部は全員が一括して提出するという挙に出た。この行動の背景・意図についての憶測はここでは行わない。しかし,ここで当然出てくる疑問は「なぜ経済学グループは総長メモを信じ,人文学部と同じ行動を取らなかったのか?」であろう。

実は同3月23日夕方,総長の感触を知らされた経済学グループ代表は管理本部に出向き担当副参事と面会していた。その席で冒頭,我々は「3.9恫喝文書」の方針は変わったかを質問したところ,回答は「変わっていません」であった。その後のやり取りで副参事は,「人文学部は確認書を出します。出さないのは経済学グループだけになります」「確認書を出さないなら新大学に経済学コースは設置されません」などと繰り返した。そのうえで具体的な確認書提出の条件を提示せよと求めてきた。我々は第一に国際水準の研究を大学として支援していくことを明言すること,第二にそれを担保するものとして16名の定員を割り当て,欠員の補充を行うことを求めた (この要求は3月末に拒否される)。我々は,管理本部の姿勢が何も変わっていないなら提出することはないと判断した。

その後4月6日午後になり突然,経済学グループ全員との会見を当日中に行いたいと担当副参事から連絡があった。出席が可能であった数人が同日夜に都庁に出向いたところ,今この場で確認書を提出するなら経済学コースは設置されると告げられた。新聞等ではこの時,管理本部で「折衝」が行われたと報道されたが,実際は確認書を出さないことを確認する儀式であった。

理学研究科に続く人文学部の提出により,3月末には96%の構成員が確認書を提出=新大学構想に賛同したかの如きニュースが新聞等メディアに流され,混乱は収拾に向かったと報道された。その後,4月7日には新大学の申請へ向けての最終案が発表され,その構成案からは学部の経済学コースとCOEの重大な任務である大学院教育の場となるべき大学院経済政策専攻は削除されていた。さらに,申請最終案発表後,管理本部は上記総長メモを全く否定する公式メモを配布した。これについてはいまだに玉虫色は何色かというレベルのやり取りが行われている。


結語

経済学グループは,文科省の21世紀COEプログラムに採択されたという事情により,次の2つの点で新大学構想の実態を判定する試金石の役割を果たすことになった。すなわち,教育とともに研究が新大学を支える車の両輪のひとつとして捉えられているのかどうか,とりわけ国際水準の研究拠点を築いていく意思が東京都にあるのかどうか,および,新大学における外部評価というキーワードが世界の常識と合致する意味で使われているのかどうか(もしそうではないなら,何を意味するのか)。これらについての判定結果は,本論において詳しく述べた通りである。

これまでの経緯を改めて振り返り,新大学構想の内容的非合理性および手続き的非正統性を再確認するとき,我々は,自分たちの選択が大学人として当然のものであったとの確信を強めている。また,たとえ少人数であっても,単なる口先の批判ではなく,行動をもって社会に向けて警鐘を鳴らしたことは,これから大きな意味を持つことになるだろうと考えている。その成果のひとつが今後数ヶ月の間に現れることを期待したい。

我々は最後に警告したい。万一,現在の新大学構想がこのまま現実のものとなるなら,研究のみならず教育の質も大幅に低下することになるであろう。


*1 『世界』(岩波書店) 2004年7月号 掲載。
*2 日本では,歴史的経緯から世界標準 の経済学を「近代経済学」と呼ぶ。
*3 幸か不幸か経済学研究者という職種においては,比較的透明で流動的な労働市場が成立している。この配置案や後述する様々な局面を通じて我々が感じた管理本部の評価の不当さは,わずか半年の間に16名中3名の教員に他大学への転出を選択させるのに十分だった。2名はすでに都立大学を離れ,神戸大学と東北大学へ移籍している。
*4 教育公務員特例法が適用される今年度の予算配分である点から,このような介入の違法性が指摘されている。
*5 日新聞ウェブ版 2004年5月20日 3時00分。
*6 3月18日,都議会文教委員会でも管理本部担当者は「3.9恫喝文書」の内容を公式方針と言明している。
この記事へのコメント

投稿日時: 2004-7-27 23:59, 更新日時: 2004-12-23 23:43

読者からのメール1 (シカゴ大学大学院生)

自然資源が乏しい日本が唯一誇るべき知の創造を、 東京都はなぜ放棄しようとしているのでしょう。まるでコミュニティカレッジを目指しているかのようですね。もちろんそれはそれで価値があるでしょうが、東京都の、そして日本の将来を考えると、不安を覚えずにいられません。

私は、日本を離れアメリカで教育を受けているところですので、 少し日本と世界の大学事情を比較してみたいと思います。

日本の大学ランキングは相変わらず入試の偏差値が基準のようですが、 世界では、もっぱら教授陣、あるいは卒業生の、研究の質と量で決まります。ここで研究の質と量は、英文雑誌や英文書籍など、専門家の厳しい審査をパスしたものだけがカウントされます。教科書や一般向けの書籍、大学などの紀要(無審査雑誌)、あるいは海外書籍の翻訳などは、もはや当然のことですが、業績とは呼びません。 厳しい世界ですが、国際的にその創造力を認められた研究者は極めて高く評価を受けます。そうした研究者を多く抱えた大学には、 学部、大学院ともに入学希望者が殺到しているのが現状です。都立大学はさほど規模が大きいわけでもなく、日本では 決して有名でもありませんが、海外でも広く業績の知られた 優秀な研究者を数多く抱えています。

こちらで世界中から来ているクラスメート(36名中32名が世界20カ国から留学)や他の専攻の友人を見て思うのは、どの国も優秀な人材を育成するために、 高等教育に力を入れているということです。南米や東南アジアのいわゆる途上国出身の人たちも、自国で相当充実した教育を受けています。 基礎研究から各分野の最先端まで、社会ですぐに役立つかどうかわからないことこそ、将来へのチャンスと捕らえているようです。 現在の日本は、残念ながらその流れに逆行しているようです。みんなが同じことを同じだけ知っていればよい時代は もうとっくに終わっていて、得意なことをとことん伸ばしていくところにこそ未来があることに、石原都知事を含め、官僚諸氏に一刻も早く気付いて欲しいものですね。

シカゴ大学大学院生


投稿日時: 2004-7-28 0:02, 更新日時: 2004-12-23 23:34

読者からのメール2 (京都大学大学院生)

首大のことについては、都立大の人文系のドクターの友人がいて、ある程度の話は聞いていましたが、『世界』の論文を見て石原知事の大学「改革」の実態に暗澹たる気持ちになります。

現在、都が行っている「改革」が、なぜ間違っているかというと、第一に手続きが不備であること、第二に、能力主義を間違った方向で行おうとしていることだ、と僕は考えています。つまり、研究者を明確な基準で評価するような能力主義自体には個人的には賛成です。

今回の都立大の騒動は、COEという観点から評価され、レフェリージャーナルに掲載された論文数などから考えて日本有数の研究機関である都立大が、よく分からない基準で、不当に評価されることがおかしいと考えています。

この件について、他人事ではないと考えていますので、自分できる範囲で協力させていただきます。

京都大学大学院生


投稿日時: 2004-7-28 23:56, 更新日時: 2004-12-23 23:42

読者からのメール3 (国立大学教授)

まったく、評価能力がない集団の評価主義がもたらす弊害が、絵に描いたように起こっていますね。

結局、何の研究もしない(できない)で役所通いや人気稼業だけを専門にしている集団が、コンプレックスから解放され、自分たちこそが役立っていると思える時代、ようやく日の目を見る時代を造りあげたということでしょうか。

国立大学教授


投稿日時: 2004-12-23 23:41, 更新日時: 2004-12-23 23:43

読者からのメール4 (英国留学中の大学院生)

ホームページを拝見し、COEプログラムの辞退等の状況を知り、東京都の大学行政がうまくいっていないことがわかりました。卒業生としては、正直なところこのような形で母校が注目されるのは喜ばしいことではありません。研究者としては、多くの雑務に悩まされるのは大変なストレスだと思います。皆様には新しい環境で研究を推進していただければと思います。

私が東京都立大学に在学していたときには、経済学部のカリキュラムは柔軟性があり、学生の意欲に応える工夫があったと思います。例えば、語学の必修単位の一部を経済学外国書購読の授業で補うことができましたし、他学部の授業で取得した単位の多くを卒業必要単位に含めることができましたし、大学院の授業を履修し単位を取ることもできました。

東京都立大学は教員一人あたりに対する学生の数がかなり低く、高い水準の講義を少人数で受講することができました。国内の評判の高い他大学と比べて、教育の質が劣っていたとは決して思いません。その当時の先生方が他の主要大学から異動されてこられていたり、現在他の主要大学でご活躍されていたりする状況からも推察できると思います。

大学改革の目的として、最も重視すべきことの一つは、優秀な教員と意欲的な学生を引き付ける魅力的な環境を構築することであり、研究や教育に対する教員や学生の意欲を引き出すことであると思います。大学改革の必要性を否定するつもりはありませんが、改革は正しい方向に向かっているのでしょうか。現状からは東京都立大学の行く末に危惧を抱かざるを得ません。

英国留学中の大学院生

都立大の風景
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