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「首都大学東京」非就任にいたる経緯および理由について
東京都立大学法学部教授 水林彪
2004.7.31
 

この文書のpdf版をダウンロードすることもできます。fileMizubayashi_docA.pdf

 

はじめに

東京都が、2003年8月1日に、突然、都立の「4大学の廃止と新大学の設置を行う」方針を宣言してから、はや1年になろうとしている(以下、これを 8.1事件とよぶ)。この間、大学管理本部は、無法・無知・無礼と評するほかはないやり方で、都立4大学の破壊に狂奔し、教員に対しては、その所業に屈服することを要求しつづけてきたのであった。私は、これに対して、一貫して反対し、屈従を拒み続け、その結果、「首都大学東京」(以下、首大と略称する)への就任を拒絶する道を選択することとなった。8.1事件1周年のこの機会に、私が首大就任拒否の道を選択するにいたった経緯および理由について、記しておきたいと思う。

この文章は、まずは、東京都立大学の学生(特に法学部生)を念頭において、草したものである。都立大学学生のうち、本年度の私の講義・演習に出席の諸君にはーー本論で詳述するように、前田雅英法学部長より、首大での非採用の通告を受けた直後でもあったことによってーー、初回講義において、本年度講義は都立大学における私の最後の講義になるであろうことを告げたのであるが、「本年度開講の辞」に際しての説明であったために、委曲をつくしたものとはならなかった。加えて、本年度講義を受講していない学生に対しては、本事件に関する私の所感を述べる機会をもちえないまま、今日に至っており、そのことが気になっていたのである。

この文章を綴るにあたり、今一つ念頭にあったのは、全国の研究者仲間である。都立大学廃校問題は、大学人の間では今や有名であり、学会・研究会の折には、必ずといってよいほど話題になり、同情の言葉が寄せられる。その度ごとに、事態を正確に説明すべく努力するのであるが、その場その場で与えられた時間の制約によって、意を尽くしたものにならない場合がほとんどであった。

この間、終始、以上のことを遺憾に思っていたのであるが、この度、首大非就任者が連絡をとりあうようになり、HPが立ち上がるに及んで、本件に関する私見を表明しうる場が設けられることとなった。HP立ち上げに尽力された方々に謝意を表するとともに、早速に、この場を活用させていただきたいと思う。

東京都立大学廃校問題の展開については、これまで、夥しい数にのぼる文書が公にされており、事実問題については、私がそれらに付け加えるものは何もないのであるが、しかし、私自身の態度決定の経緯と理由を述べるためには、私なりに、本問題の展開を整理して、記述しておかねばならない。そのために、この文書だけでも本事件の概要は知り得るような精度で叙述することとなった。この問題に通じていない読者には、それも便宜であろうと思われる。この事件に詳しい方々には、周知の事柄が多く述べられることになろうかと思われるが、ご海容をお願いする次第である。


2003年8月1日以前

東京都立大学において、広い意味での大学改革論議はかなり以前から積み重ねられてきたが、今日の「改革」問題の起点に位置するのは、1999年度からの、荻上紘一前総長のもとでの都立大学改革計画策定であろう。その成果として、東京都立大学の最高意思決定機関である評議会において、2000年2月に「東京都立大学改革計画2000」、同年7月には、その補正文書「新・東京都立大学改革計画 2000」が決定された。これを基礎として、以後、都立大学と東京都との間で、都立大学改革に関する協議・交渉が開始され、2001年2月には「東京都大学改革基本方針」が発表され,2001年11月には,知事の署名入りの「東京都大学改革大綱」が策定された。


2003年8月1日:8.1事件

しかるに、東京都は、2002年春頃から、上記「東京都大学改革大綱」を一方的に反故にし、今日の首大設置計画に帰結する都立4大学の廃学計画を準備しはじめた。そして、歴史的な2003年8月1日事件に及ぶ。すなわち、この日、

(1) 都立4大学の学長が東京都大学管理本部に突然呼び出された。

(2) 管理本部は、4大学学長に対して、これまでの大学との協議体制は前日をもって終了したこと、前記の「東京都大学改革大綱」は破棄したこと、4大学を廃止し、新大学を設立すること、新大学構想を具体化するための、大学代表者を含まない検討組織を設置したこと、などを一方的に告げた。

(3) その約1時間後、石原都知事は、記者会見を行なった。知事は、新大学構想の一部を紹介するとともに、「大学の先生といっても人間で、人間というのは本質的に保守的だから、あーだこーだ、いやだとかへちまだとか言うだろうけれども、そんなものは辞めたらいい」と発言した(http://tmu.pocus.jp/8ten1jiken.html )。

(4) その直後、管理本部から「都立の新しい大学の構想について」、詳しい説明がなされた。私の所属する法学部を含む既存の全学部の廃止、新大学における「都市教養学部」なるものの設置、教員任期制などの構想が説明された
http://www.metro.tokyo.jp/INET/KEIKAKU/2003/08/70d81100.htm)。

しかし、「都立の新しい大学の構想」は、細部はおろか、基幹的部分さえも全く熟していない粗雑なものであった。このことは、その後、管理本部自らも、事実上、告白することになる。というのも、8.1事件よりも約4ヶ月も経た11月末ないし12月初頭の頃に、大学管理本部は、新大学の設置趣旨・設計等に関して、予備校・河合塾に調査委託を行なったからである(12月5日付朝日新聞報道)。この時点において外部に調査を委託したという事実は、少なくともそれまで(8.1事件や後述する「同意書」提出を求めた9月末の時点において)、管理本部には、新大学についての成熟した確固たるビジョンが存在しなかったことを意味する。8.1事件は、創造するものが明確な既存制度の改革では全くなく、何よりも、都立4大学の破壊を目的とするものだったのである。


2003年9月25日:管理本部による「同意書」配付

そのような未熟・杜撰な構想であるにもかかわらず、管理本部は、2003年9月25日、4大学の教員に対して、構想に対する包括的承認と、そのことを前提とする新大学の詳細設計への参加とを求める「同意書」なるものを配付してきた。すなわち、

提示された新大学における配置案に同意した上で、新大学設立本部及び教学準備委員会の下で、新大学に関する今後の詳細設計に参加することに同意します。また、教学準備委員会が必要と認めた場合を除き、詳細設計の内容を口外しないことに同意します。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3113/siryousyu_031002kikinoganjyou2_chu.htm#s_d

という文面に、署名を求めてきたのであった。「提示された新大学における配置案」とは、私の場合、「都市教養学部」の中の「法学系・法律コース」への配置であった。このことへの同意は、言うまでもなく、法学部の一方的廃止を含む都立大学の廃校への同意を前提としている。また、「教学準備委員会」とは、大学の組織ではなくして、管理本部のもとに設置される行政組織にほかならない。東京都立大学廃校方針を無条件にのんだ上で、管理本部が詳細設計にあたる新大学には参加し、そして、そこでの議論について口外はするな、秘密裏に行う、これに同意せよ、というわけである。

このように、管理本部は、既存都立4大学を、全く自由に廃校にすることが出来ると考えているわけであるが、その背後には、我々大学教員をば、教育に携わる「主体」ではなくして、設置者が大学経営を行なうために使役する単なる「資源」にすぎないとみなす恐るべき思考が存在する。2003年8月29日、管理本部長は、科学技術大学学長・保健科学大学学長・都立大学人文学部長・法学部長・経済学部長・理学研究科長・工学研究科長の7名を召集し、そこで、「4大学の廃止と新大学設置は、設置者権限であり、これから設置者責任の下で新大学の設計を行っていく。したがって、基本的に旧4大学は新大学を設計するうえでのひとつの資源」であり、「本日は、学内の資源を掌握しておられる方ということで皆さんにお声をかけた」と説明したのであった。ここに、〈東京都(大学の設計者)ーー学部長など(大学経営のための資源の掌握者)ーー 一般教員(資源)〉という驚くべき認識が示されたのであった
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3113/siryousyu_031002kikinoganjyou2_chu.htm#s_d)。


2003年9月末:「同意書」非提出

私は、以上のような「同意書」提出要求を、あるまじき無法の行為と考え、管理本部に対しては、一切の応答をしなかった。


2004年1月27日評議会声明にいたる大学側の反撃

8.1事件以後、ただちに、都立4大学の側からの反撃が開始された。肝腎の総長・評議会における反応はきわめて鈍く、ここに、東京都立大学崩壊の最も重大な原因の一つがあったと思われるが、学部・学科・組合・院生・学生など、様々の学内諸団体の行動は着実に広まり、これらの動きは、ようやく2004年1月 27日の東京都立大学評議会の声明に及んで、大学側の反撃は頂点に達した。知事・管理本部に対して大学側からなされた声明・抗議・要望の類いは夥しい数にのぼるが、それらは全て、http://tmu.pocus.jp/seimei.html で知ることができるので、その参照を請うこととし、ここでは、2003年10月7日の茂木俊彦都立大学総長の声明、および、東京都立大学の最高意思決定機関である評議会が2004年1月27日に決定した「評議会の見解と要請」の2つにのみ、ふれるにとどめたい。

(1) 茂木俊彦都立大学総長は、2003年10月7日の声明において、

教員組織は、単に抽象化された員数の集合にすぎないのではない。それは、憲法・教育基本法をはじめとする関係法規に従い、学生ないし都民に対して直接に責任を負って大学教育サービスを提供することを責務とする主体の集団であり、また長年にわたって研究を推進し、今後それをさらに発展させようとする主体の集団である。それゆえ既存大学からの移行、新大学設置を実りあるものにするには、教員がその基本構想の策定から詳細設計にいたるまで、その知識と経験を生かし、自らの責任を自覚しつつ、自由に意見を述べる機会が保障されなければならない。

と述べ、8.1事件以降の都知事・管理本部の行為を批判して、「新大学設立準備体制の速やかな再構築を求め」た。

(2) 東京都立大学評議会は、2004年1月27日の「評議会の見解と要請」において、

都大学管理本部が現在進めている準備手続においては…(中略)…、新大学は実質的には現大学のいわゆる改組・転換であるにもかかわらず、教育課程の編成等の作業が、現大学の意思決定機関である評議会・教授会の議を経ずに進められている。さらに教員組織がその教育責任を全うする上で障害となる様々な制度が、相変わらず現大学の意見も求められないまま具体化されようとしている。これらが大学教員組織の権限を侵していることは明らかであり、また新大学が大学としての教育責任を十分に果たし得ないことにつながるものとして強く憂慮される。先の総長声明ですでに求められたことであるが、あらためて大学との開かれた協議を行う新たな体制を再構築することを要請(する)

と述べ、具体的には、(a)単位バンク制構想を撤回すること、(b)新大学の教育内容・教育課程設計は現大学教員組織の責任と権限で行うべきこと(新大学「都市教養学部」の設計を河合塾に委託したことへの批判)、(c)新大学の学部と大学院は一体のものとして設計・設置するべきであること、(d)大学管理本部が提案している任期制・年俸制の導入は行うべきではないこと、などを主張した。

8.1事件以後の約半年間の総長・評議会の本件への対応の基調は、鈍重かつ屈従的であり、一時は全く展望を失ってしまっていたが、2004年1月27日評議会声明が発表されるにおよび、一筋の光明がさしたように思われ、私自身は、この評議会声明の線で全大学がまとまり、管理本部の新大学構想を廃案に追い込むことに、かすかな希望を見出すことになった。

なお、ここで一言、この間の法学部の動きについて、付け加えておきたい。法学部においては、前田学部長が、管理本部による都立大学廃校・首大設立に積極的に協力する立場にあり(前田法学部長は、管理本部によって、首大都市教養学部長予定者に指名されている)、さらに、学部長を支持する教員が法学部内においては多数をしめていることによって、法学部という単位では、管理本部批判を議決しえない構造が存在した。そのため、管理本部批判は、法学部では、突如として、四人の教授の辞職という激烈な形で噴出した。四教授の辞職理由には微妙なニュアンスの相違があるが、少なくともそのうちのお三方の辞職は、管理本部の所業に対する抗議と評してよいものであった(残るお一方の辞職理由は健康問題であるが、その遠因は8.1事件にあると思われる)。四教授は、2003年6 月1日付け文書(「就任承諾書」)によって、2004年4月1日開校予定の都立大学法科大学院に、専任教員として就任することを承諾した方々であるが、その6月1日時点における意思表示は、8.1事件によってその基礎を失い、6月1日時点での承諾の前提となった事情に根本的な変更が生じた結果、効力を失ってしまったことをふまえての行動であった。2003年春頃から準備が開始されていたらしい8.1事件の策謀が、もしも6月1日以前に発覚していたならば、私を含めて、少なからざる教員は、法科大学院に専任教員として就任することを承諾することはなかったであろう。四教授の辞職は、8.1事件の直接の帰結であり、これにともなう都立大学法科大学院の混乱の責任は、言うまでもなく、全て管理本部にある。


2004年2月〜3月:「意思確認書」問題の展開

以上のような大学側の動きに対して、管理本部は、2004年2月10日、またぞろ、かの「同意書」の再版とでも評すべき「意思確認書」の配付を行なった(http://tmu.pocus.jp/ishi-k1.html )。


A. 「意思確認書」の問題点

(1) この文書は、「首都大学東京の就任の意思確認を緊急に行わざるを得なくなりました」と述べ、その理由の一つとして、法科大学院問題に言及し、

専任教員として予定していた一部の教員が、昨年6月1日付けで就任承諾書を提出していたにもかかわらず、設置認可後に、退職届を提出してきたため、学生募集と入学試験を延期するという、まことに残念な事態が生じた。

ことをあげている。先に述べたように、「まことに残念な事態」の全責任は管理本部が負うべきもので、四教授の辞職が原因であるかのように述べるのは、責任転嫁もはなはだしいと言わねばならない。

(2) この文書は、「意思確認」を求めうるほどには新大学構想が熟したものにはなっていないことを、自ら事実上認めたという意味においても、注目すべきものであった。すなわち、この文書は、

勤務条件の詳細がわからなければ、就任するか否か判断できないというご意見もあるでしょうが、既にご提示している、「基本的に現状の給与水準を維持する」「通常の教員としての能力を有し、着実に実績をあげていれば特に問題を起こさない限り再任が認められる」という骨格の案を前提に、これから理事長予定者、教学準備委員会座長、各大学の総長・学長で構成する経営準備室において、勤務条件等の詳細を決定していく考えです。

などとのべ、「勤務条件等の詳細」が提示できない段階での「意思確認」であることを自ら認めたのであった。「通常の教員としての能力」は果たして誰が認定するのか(またぞろ予備校河合塾にでも丸投げするのであろうか)、「特に問題を起こさない限り」という場合の「問題」とは何なのか(後に紹介する3月9日恫喝文書から判断するに、学問人の立場から知事・管理本部の大学行政を批判することは、「問題」を起したことになるのではないか)など、きわめて重要な諸点において構想はなお不明であり、全体として、新大学構想は、他人に対して就任の「意思確認」を求めうるような段階にまで熟したものになりえていなかったこと、明らかである。

文部科学省からは、設置認可の申請にあたっては、専任教員予定者から早期に確実な意思確認をとり、法科大学院のような事態を二度と招くようなことのないよう対応されたいとの強い意見があ(った)

と述べ、「意思確認書」を文科省の権威によって正当化しようとしたのであるが、これは、全くの虚偽であった。このことは、河村文部科学大臣が、国会答弁において、次のように、明言したところである。

東京都が4大学を統合して新大学を作ろうということで、2月10日付けで東京都大学管理本部長の名前で、4大学の現職教員に対して、首都大学東京就任承諾に関わる意思確認書を求めたということは聞いている。しかし、この求めた文書の中で、文部科学省から強い意見があって意思確認書を緊急に行わなければならなくなったという記載があったようだが、文部科学省からこのような意思確認書を要請した事実はない。そこで、文部科学省としても、2月10日に都に対して訂正を申し入れた。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3113/monka_040227.htm)(あわせて、2月12日朝日新聞参照)

文科省は、東京都立大学教職員組合の質問にも同様に回答しており、次に引用する組合のまとめによれば、文科省が求めたのは、「大学としっかりと協議をし信頼関係を持って行ってほしい」ということなのであった。

早期の意思確認ということは東京都に対して申し上げていない。法科大学院の例があったので、統合による新たな大学の申請にあたってはしっかりとやってほしいということは申し上げたが、このような新たな書類をというようなことは申し上げていない。しっかりというのは、大学としっかりと協議をし信頼関係を持って行ってほしいということである。 (http://www5.ocn.ne.jp/~union-mu/pgrs0102.htm

これによって、文科省は、事実上、2004年1月27日の評議会声明における「大学との開かれた協議」の要求と同じことを、東京都大学管理本部に求めたことが知られる。しかし、管理本部は、事柄をねじ曲げ、「よく協議し、信頼関係を持つべし」とする文科省の助言を、強引な意思確認要求に歪曲したわけである。


B. 3月9日「恫喝文書」

(1) 管理本部は、大学の声にも、文科省の指導にも、全く聞く耳をもたない。3月9日、学長予定者西澤潤一および大学管理本部長山口一久は、大学内外で「恫喝文書」と呼ばれるようになる文書を作成し、大学に送り付けてきた。以下に、全文を引用する。

3月8日に都立大学総長に対して大学管理本部長として3点にわたるコメントを申し上げました。その内容を、西澤学長予定者にも確かめたところ、考え方が一致しておりましたのでお知らせいたします。

                     平成16年3月9日

                     学長予定者  西澤 潤一

                     大学管理本部長  山口 一久

            記

1 今後の改革の進め方

 第1回都議会定例会での知事の施政方針のとおり、知事にはまったく新しい大学として「首都大学東京」を17年度に断固として開学する強い思いがある。 改革の本旨に従い、引き続き教学準備委員会を中心に検討・準備を進める。

 改革に積極的に取り組む先生方とともに、「首都大学東京」を創る。

 改革である以上、現大学との対話、協議に基づく妥協はありえない。

 「首都大学東京」は、東京都がそこに学ぶ学生や東京で活躍するさまざまな人々のために設置するものであり、教員のためではないことを再確認して欲しい。

2 大学院の検討

 大学院の重要性は認識している。

 教学準備委員会の下に、現状追認でない新しい大学院を検討するWGを設置する。

  ・メンバーは西澤学長予定者が指名する。

 ・第3回教学準備委員会で提示した、座長叩き台案、川勝専門委員案を出発点に検討を進める。

3 意思確認書提出の取扱い、混乱の責任

 新大学に前向きな姿勢で期限を守って提出頂いた方々と3月に入ってから提出された方々を同様の取扱いとする訳にはいかない。何らかの仕切が必要である。

 また、公に改革に批判を繰り返す人たち、意思確認書の提出を妨害する人たちには、意思確認書が提出されたからといって、建設的な議論が出来る保障がない。なんらかの担保がないかぎり、新大学には参加すべきでない。

 学内を主導する立場にある、総長、学部長(研究科長)、教授クラスの教員にあっては、混乱を招いた社会的、道義的責任を自覚すべきである。

  (http://tmu.pocus.jp/yamaguchi-nishizawa030904.html

「改革である以上、現大学との対話、協議に基づく妥協はありえない」という文章は、内容的に、文章の体をなさないがーー正確には、「改革である以上、現大学の教員との協議が必要である」であろうーー、それはともかくとして、この言明によって、管理本部は、評議会声明(1月27日)と文科省見解を真っ向から否定したわけである。

この文書は、さらに重大な内容を含んでいる。それは、管理本部の構想を批判する言論活動を管理本部が敵視していることである。自由で民主的な社会の生命は自由な言論活動であり、このことは大学には特に妥当する侵すべからざる根本原則である。しかし、管理本部はそれを「妨害」、「混乱」とみなす。そして、かかる「妨害」「混乱」(真実は、自由な批判的言論活動)について、総長以下の「学内を主導する立場にある」人々は「責任を自覚すべきであり」、「混乱」を生ぜしめた本人には、「なんらかの担保」ーー具体的には公式の謝罪を意味するというのが、総長周辺の観測であったーーがない限り、新大学への参加を許さない、というのである。研究・教育のあり方について、自由な言論活動が許容されないならば、それはもはや「大学」ではない。

(2) 私は、以上のような文章に名を連ねる西澤潤一なる人物が学長をつとめるような「大学」で、研究教育を続けることはありえないであろうことを、この文書を読了した瞬間に、確信した。最小限、この文書の発給者である西澤潤一・山口一久が、これを公式に撤回し謝罪しない限り、首大に就任することはないことが、私の気持の中では確定したのである。


2004年3月末〜4月初頭:前田法学部長からの通告

3月30日になり、教学準備委員会のメンバー(昨年8月以来)として活躍し、都立大学廃校・首大新設に力を尽くして、管理本部によって首大都市教養学部長予定者に指名(本年4月)されることになる前田法学部長から、私を含む法学部教員に対して、3月29日の教学準備会の報告として、「首都大学東京の構成が決まった」ことが告げられ、さらに、4月2日には、私個人あてに、次のような通告がなされた。

就任承諾確認書が出ていないため、日本法制史担当者は非常勤講師という形で提出するという最終の報告がございましたので、ご報告致します。

引用文中の「就任承諾確認書」とは先に述べた「意思確認書」のことである。「水林からは、意思確認書の提出がないので、文科省への首大設立申請にあたり、水林は名簿から外す。水林は首大に就任しえない」という趣旨の一方的通告である。実際、その後、管理本部および前田法学部長(都市教養学部長予定者)から、私に対して、首大への「就任承諾書」への応答の可能性について、問合せがくることはなかった。


まとめ

以上が、私自身の首大非就任にいたる経緯である。事の経緯に対する私自身の対応という観点から、若干の補足をかねてまとめるならば、次のごとくである。

第一に、私自身は、公式の言明において、新大学への就任を拒否したことは、一度もないことである。同僚の中には、「同意書」や「意思確認書」の配付などの時点において、新大学就任拒否を公式に明言した方々もおられたがーーそして、その気持は、十分に理解できることであるがーー、「意思確認書」が配付された本年2月の時点での私のスタンスは、それとは異なり、次のようなものであった。

(1) 大学の自治という観点から考えて、新大学就任・非就任の問題に関して、一般教員が管理本部と直接に応答しあうことは正当とは考えないので、当該問題につき管理本部から直接に問われても、直接に答えることはしない。

(2) 法学部長および同僚に対しては、次のような私の態度を表明する。すなわち、(a)8.1事件は不当であり、この不当性を曖昧にしたまま、私が新大学に就任することはありえないこと、(b)「同意書」および「意思確認書」時点においては、管理本部の新大学の根幹部分の構想の詳細が明らかでなく、「同意」や「意思確認」を求めてくる態度が論外であること、したがって、就任・非就任について、答えようがなく、答えるべきではないこと。

(3) 2003年10月7日の総長声明や2004年1月27日評議会声明の線で新大学設置準備が進み、構想がまとまるならば、新大学就任の可能性はある。

これに対して、管理本部は、私を含む「意思確認書」非提出者を、「意思確認書」非提出であることだけを理由として、切り捨てたのであった。無条件に屈服しない者は切り捨てるという方針の言明であり、貫徹である。

第二に、しかし、今後、万々が一、首大就任の説得がなされることがあったとしても、私には、もはや、首大に就任する気持は微塵もないことである。このようなことを述べるのは、現に、経済学部近代経済学グループに対して、総長ないし管理本部から、「意思確認書」非提出以降つい最近にいたるまで、首大就任を求める説得がなされたという事実があるらしいからである。「意思確認書」非提出者のうち、近代経済学COEグループだけは別格の扱いをして首大就任の説得があったということは、他の「意思確認書」非提出者との間で差別を設けるものであり、そのこと自体、不当であるが、それはさておくとして、かりに私が首大就任の説得をうけるようなことがあったとしても、これに応ずることはありえない。「あーだこーだ、いやだとかへちまだとか言うだろうけれども、そんなものは辞めたらいい」とは知事の言葉であるが(2003年8月1日記者会見)、そう言われるまでもなく、首大を就任に値する大学とは考えないが故に、自分から「辞めていく」のである。この気持は、8.1事件以後、徐々に固まっていったものであるが、それが不動のものとなったのは、先にも述べたように、3月9日「恫喝文書」を契機としてであった。


結び

8.1事件を契機に、多くの優れた同僚たちがすでに去り、そして、これから去ろうとしている。このことを、客観的な数字によって示してみよう。法学部法律学科についていえば、8.1事件直前の2003年7月の時点において在籍した人員は24名であった。このうち、同年度かぎりで退職することがすでに決まっていた方が5名(うち2名は定年退職ないし事実上の定年退職、3名は他大学転出)であったから、8.1事件後に首大へ就任するか否かの選択を迫られたのは、差し引き19名(24 - 5=19)であった。この19名のうち、首大への就任承諾書を提出した者8名、首大就任を拒否した者11名であり、首大就任承諾書提出率は約4割、拒否率は約6割であった。拒否率6割とは、驚くべき高率ではなかろうか。この数字に、知事・管理本部による大学破壊のすさまじさが端的に表現されているといえよう(都立大学文系3学部の実態については、本HP掲載の「25 名だけが「首大」への就任拒否をしたわけではないー都立大学文系3 学部における人材流出の実態 ー」を参照されたい)。

大量の首大就任拒否者が出たことにより、管理本部は補充人事を行なうべく、憲法、行政法、民法などの分野において公募を行なったのであるが、応募数は憲法 1、行政法0、民法3であったと伝えられる。首大都市教養学部法学系の人事は、公式には東京都立大学法学部の手をはなれ、管理本部において行われているのでーーこのこと自体、驚くべきことであり、首大がもはやまっとうな「大学」とは言い難いものであることがここに示されているーー、首大非就任の私は、正確な数字を知る立場になく、そのような話を伝え聞いたということにすぎないが、諸状況証拠に照らして、数値に大過はないように思われる。まことに惨憺たる状況であると言わねばならない。8.1事件がなく、従前の東京都立大学法学部の公募人事であったならば、何十倍という競争率になったと思われるが、今回は、 0ないし限りなく0に近い数字にとどまった。このことは、知事・大学管理本部の蛮行がしだいに広く知れ渡るようになり、学界が首大都市教養学部法学系をほとんど論外の存在として評価するにいたったことを示すものである(受験界が首大に対していかに厳しい評価を下しつつあるかについては、本HPの「新着情報」欄に紹介されているベネッセの調査結果を参照されたい。偏差値と受験志望者数について、前代未聞と思われる暴落の様子が知られる)

1975年9月1日に東京都立大学に赴任してきて以来、29年間、私は、私なりに、精一杯、研究と教育に励んできたつもりである。不断に最先端の研究を行なうべく努力し、その成果を講義と演習に反映させるように、努めてきたつもりである。そして、本事件がおきるまでは、東京都立大学に定年までとどまり、微力ながらも、この大学の発展のために努力するつもりであった。しかし、今、その大学を、私は失うことになった。無念というほかはない。わが東京都立大学を破壊した知事・管理本部の悪行とこれに加担する人々に対して、私は、心の底から込み上げてくる怒りをおさえることが出来ないのである。

この記事へのコメント

投稿日時: 2004-8-15 0:56, 更新日時: 2004-8-15 23:46

水林先生の投稿への若干のコメント(T投稿への補注)
水林先生の投稿への若干のコメント(Tの2004.7.3投稿への補注)
法学部教員・高村学人

はじめに

 2001.4.1に、学生時代から先生の御著作・論文を愛読していた私が、偶然にして、都立大法学部の同僚として着任できたのは、望外の幸せであった。また、先生の「日本法制史講義」を、学生に紛れて、拝聴させていただくという特別な機会も与えて頂いた。

  「水林先生のご投稿(2004.7.31)(以下、M.Mと略)」に接した私は、押えようもない、様々な感情的な表現が怒涛のごとく、頭を駆け巡ったが、そのような表現を、このような場で行うのは、相応しくはなかろう。

 以下では、その感情をひとまず押し殺して、先生のご投稿へのコメントとして、 「Tの投稿(2004.7.3)(以下、T.Mと略)」への補注を、客観的証拠を示しながら、冷徹に行うことにする。

補注1) 学部長からの事後報告メール(2004.4.2)について

 T.Mで、「私のところには、その後、学部長から、私の担当科目である法社会学は、新大学では、非常勤でいくという設置申請書類を提出したことを事後報告する旨の短いメールが届いた。」と述べたが、それは、次のような内容のメールであった。

--以下引用------
Date: Fri, 2 Apr 2004 00:04:50 +0900
From: "maedam"
To: "都立高村"
Subject: 文科省設置認可申請について

高村先生

 就任承諾確認書が出ていないため、法社会学担当者は非常勤講師という形で提出するという最終の報告がございましたので、ご報告致します。
                            前田雅英
––以上引用------

 つまり、M.Mで引用されている「就任承諾確認書が出ていないため、日本法制史担当者は非常勤講師という形で提出するという最終の報告がございましたので、ご報告致します。」というメール文言との唯一の違いは、「法社会学担当者」であるか「日本法制史担当者」にしかない。

 ここから、ほぼ同一時刻に、前田雅英法学部長は、意思確認書未提出者に、同様のメールを送りつけたということが推定されよう(*これを完全に裏付けるために、他の法学部非就任者の同僚からの投稿が続くことを期待する)。

 同法学部長を都市教養学部長予定者として設置準備を進めている「首都大学東京」においては、このように、一瞬にして、「クビ」に類する処遇を被り得る職場となる可能性が極めて高いということを「全国の研究者」に警告しておく。「受験生」にも、そのようなリスクに常におびえざるを得ない教員団が、「首都大学東京なるもの」を構成しているのだということをお伝えしておく。これは、「営業妨害」では決してなく、「真理universitas」を語ろうとした行為として理解される筈だ。

補注2)保留を貫いた「意思」について

 T.Mでは、「意思確認書を出さないと総長に最終表明した」と述べたが、これは、若干、誤解を招く表現であったかもしれない。
 M.Mは、「私自身は、公式の言明において、新大学への就任を拒否したことは、一度もない」としているが、これは、私も同様である。
 私が総長に宛てたメールは、次のようなものである。

--以下引用------
From: Gakuto Takamura
Date: Thu, 25 Mar 2004 05:55:51 +0900
To: mogi
Subject: 意思確認書について
茂木総長
 人見評議員から、自分の意思確認書の扱いについて総長に至急連絡を取るべき旨のメールを頂きました。
 ご連絡おそくなり、失礼しました。
 意思確認書については、次のような点が確認されない限り、提出は、保留せざるを得ないと考えております。
 1)管理本部、学長予定者が、3月9日メモのような脅迫的な態度を撤回したこと、
 2)改革内容が1月27日の評議会声明に沿った形に修正される見込みがあること、
 3)自分の雇用条件に任期制の適用のような著しい不利益が生じないこと、です。
 これらの点がはっきりすれば、新大学へ参加する意思を表明したいと考えますが、現在の限られた情報においては、その点がはっきりしません。
 また2月16日の総長宛のメールにおいて意思確認書への総長の下での預かりをお願いした筈ですが、その後、十分な説明もなく、間接的に、意思確認書が返却されたり、急に提出が求められたことは、大変残念でした。
––以上引用-----

要するに、意思表示する条件がないから、保留すると言い続けただけである(*またT.Mの繰り返しになるが、基礎法学グループにおいては、この点について、一致した行動を取ろうとかという意思確認は行っていない。偶然にしてほぼ一致した行動になっただけである)。

 そのような行動を取った我々への回答が、補注1)で引用したメールである(約8日後)。

 このような態度は、自分にとっては、法とかというものを多少なりとも勉強したことのある人間にとっての当然の選択のつもりであったが、実際は、多数の法学部スタッフが、意思確認書の集団的提出へと走ったということは、T.MおよびM.Mが既に明らかにしたところである。

補注3)いわゆる「就任説得工作」の濃淡について

 M.Mでは、「経済学部近代経済学グループに対して、総長ないし管理本部から、「意思確認書」非提出以降つい最近にいたるまで、首大就任を求める説得がなされたという事実があるらしいからである。「意思確認書」非提出者のうち、近代経済学COEグループだけは別格の扱いをして首大就任の説得があったということは、他の「意思確認書」非提出者との間で差別を設けるものであり、そのこと自体、不当である」とされている。

 これに関連して、クビ大への就任説得の「別格の扱い」というものは、意思確認書不提出後どころか、意思確認書配布日から、法学部においては、はっきりと存在したということを付け加えておく。

 すなわち、執行部の方針に多少なりとも異論を挟んだことのあるスタッフには、執行部から「意思確認書」の提出をお願いするというようなことは、さほどなく、スタッフによりかなりの濃淡の差があった(*詳しくは、別の機会に、珍メールのようなものも含めて、はっきりと公表・証明していく)。

補注4) 史料が保存する意味  −「再生へのシナリオ」と「正しい審判Justice」のために

 M.Mでは、「万々が一、首大就任の説得がなされることがあったとしても、私には、もはや、首大に就任する気持は微塵もない」とされている。

 これに関連して、法学部の意思確認書非提出者には、執行部からではなく、東京都立大学・短大教職員組合から、人見評議員を経由して、「就任承諾書」の配布を請求するようにとの説得が存在したという事実を付け加えておきたい。

 この説得の趣旨は、「意思確認書」というものは、そもそもアンケートのようなもので、法的に意味がないものだから、それを出した、出さなかったにかかわらず、移行型の独立行政法人であれば、就任を承諾するかどうかの確認は、現構成員全員になされるべきである、というものであった。

 この組合の主張は、私は、法的には、完全に正しいものと受け止めた。しかし、「就任承諾書」の配布請求を管理本部・学部長に求めるという行動を選択することは、できなかった。

 その理由は、人見評議員に私信として宛てた次のメールを読んでいただきたい(良心的な人々の名誉を毀損する恐れから、一部は、「***」として消去した。また(*)は、註として加筆した) 

--以下引用------
From: Gakuto Takamura
Date: Mon, 21 Jun 2004 12:03:45 +0200
To: hitomi
Subject: Re: お願い
 「就任承諾書を学部長に要求しては、というご提案ですが、申し訳ありませんが、ちょっと難しいです。
 もちろん意思確認書をアンケートのような意味に無効化することが、「***」の人々がこれから就任承諾書を出さないことを批判されるのを、ある程度、サポートすることができるというのは、よくわかりますが、
 これからの妥協の結果がどういうものになっても、新大学(*これは首都大学東京であり、新法人そのものではない)のために働く気が、まったくおこりそうもありません。」
––以上引用------

 要するに、この脚注冒頭で引用したM.Mと同様の見解であった。さらに、私の選択について、より詳細に説明しておくならば、次のような判断があった。それは、下手に「就任承諾書」の請求でも行って、行政文書にそのような記録が残ったら、「法的論理に従った行為」という主観的意図を離れて、文書のみを頼りとすることができない時代の歴史家からは、「自分の意思がぐらついたものとして解釈される」、それを最も恐れたのである。

 ところで、提出された多くの意思確認書、就任承諾書には、さまざまな書き込みがあったとされる。また提出時期においてもばらつきがあったとされる。管理本部は、これらの書類を絶対に廃棄すべきではない。「デジタル化して永久保存」すべきだ。

 マスコミが伝えたように、96%の教員が一斉に「万歳(バンザーイ!)」したのではなく、そこには、いろいろな葛藤や意味が込められているのである。それらの意味が、正しく理解され、共有されるようになるならば、なおも「都立大学」再生への道はあるだろう。
 ただし、「率先」して管理本部に迎合した人々には、厳しい「審判Justice」から永久に免れることはできないということを通告しておく。
 以上、4点の補注でもって、水林先生から賜った「学恩」へのささやかなご返礼の一つとしたい。
          (2004.8.15 −もう一つの「戦後」のために)

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