東京都による大学破壊を歴史に刻む
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首大の由来

「首大」 とは,東京都が申請し2004年7月13日の設置審で一旦は拒絶され,9月21日に5つの留意事項付きでようやく文部科学省へ送られ,9月30日に設置認可された「首都大学東京」の略称。 自然発生的にこの略称が生じた背景には,この大学が,東京都の方針に合わない教育や研究は切り捨てることができる仕組みが組み込まれているからだ。また教員は,任期制・年俸制を強要されるか,昇給・昇任のないシステムを選択させられた。

 
首大構想の基本

2003年8月1日石原慎太郎東京都知事は,自分でもサインしていた2年間に渡って協議されていた大学改革案を,突然一方的に破棄し,「まったく新しい大学」を作ると言いだした。 以後,ごく一部の「御用」教員を除き,東京都は大学教員の意見をまったく訊かずに人員削減・経費圧縮の大学構想を作った。知事自身でも分からない「都市教養」を教える大学だ。河合塾に3000万円払いこの理念を外注したが思ったような理念はできず,そのまま「都市教養学部都市教養学科」が成立してしまった。行政が教育に介入し,既存の学部学科を解体したという意味で,憲法に保障される「学問の自由」が侵害された事件だった。

 
「首都大学東京」の由来

2003年9月10日〜10月15日「新大学」の名称が公募されたが,その結果,トップは「東京都立大学」だった。 4位に「首都大学」があったが,知事はそれに「東京」を後ろに付ける名称を勝手に作り,予定より3ヵ月遅れの2004年2月6日に「首都大学東京」という名称を発表した。 同じような発想で名づけられた「新銀行東京」(2003年11月発表)が巨額の赤字で悩んでいることが報じられているが、首都大学東京の実態は、マスコミになぜか登場していない。

 
「首大」の理念と使命

そもそも大学の理念とは,「広い分野の知識と深い専門の学術を教授研究し,真理の深求につとめる」のが基本だが,「首大」の理念とは, 「大都市における人間社会における理想像の追求」である。さて,この理念のもとで,何を研究し教育したらいいのだろうか。答えは,「首大」の使命に明記されている。(1) 都市環境の向上,(2) ダイナミックな産業構造を持つ高度な知的社会の構築,(3) 活力ある長寿社会の実現,だ。行政が大学に求める課題が露骨に表現されていることが分かる。

 
「首大」の本体

東京都立大学,東京科学技術大学,東京保健科学大学,東京都立短期大学を「地方独立行政法人首都大学東京」の元に1つにまとめたもの。ただし, 2005年4月に開学した「首大」には,都立大学法学部は48.1%、経済学部では48,5%の教員が移行を拒否,人文学部は27.1%,理学研究科は14.3%の教員が移行を拒否し,就任拒否をした数は合計100人以上にのぼった。

 
石原知事一直線「大学」

石原慎太郎東京都知事は,「東京都」が設置している大学に対して,「最終的に設置者権限があるのは知事である」と宣言し,自分の思ったような大学を作ろうとした。 地方独立行政法人として,まずは理事長を高橋 宏氏(当時,郵船航空サービス相談役)に,学長を西澤 潤一氏(当時,岩手県立大学学長)に依頼した(知事のお友達だったからと言われている)。西澤 潤一氏は,首大の学部長を任命。教授会の人事権も剥奪し,知事から大学の個々の教員へ到るトップダウンの体制を作り上げた。

 
銀行東京と大学東京

首都大学東京と"双子"のような名前を持つ組織に新銀行東京がある。石原慎太郎知事が世に送り出したこれら2つの"東京"は,単に名前が似ているというばかりでなく, その"結果"についても共通している。新銀行東京は

石原知事の肝いりで2005年4月に開業。… 07年9月中間期には累積損失が936億円と資本金の約8割を棄損,08年3月期には累損が1千億円まで膨らむ見通し。(日本経済新聞2008年2月21日朝刊)

石原知事は,都議会答弁で

「期待に反し真に残念無念。ざんき(の念)に堪えない」と表明。そのうえで「もろもろの責任を痛感している」(同新聞2008年2月27日朝刊)

と述べ,新銀行の経営が悪化したことについての自身の責任を認めた。

もうひとつの"東京"もまた無惨な失敗であったことを同知事が認める日はいつだろうか。それとも,金額のような分かりやすい指標で 大学の価値の"棄損" を表すことが困難であり,一般の目には実状がわかりにくいことをよいことに,白を切りとおすであろうか。

 
首大の象徴「単位バンク」は危機

2003年8月1日の石原都知事会見で飛び出した「単位バンク」という考え方は,大学の教育システムに無知だった石原都知事の発案である。その席上,「新しい教育システムとして単位バンクというのか、 言葉はいま探しているのですけれど、一種の自分の貯金の口座のようなものを設けてそこに自分の取った単位をおいていく」,とか「海外青年協力隊に行っていた人、そういう貴重な国際経験なども単位にして、そういう得難い経験を持ち、キャリアを持った人たちは大学としても評価していくと、これまでの4大学にない画期的なシステムを作っていくつもりです。」と発言し,首大の象徴的存在として宣伝されてきた。

しかし,その実態は,すでに日本の大学制度として存在する「科目等履修生」を利用するだけ。2005年度に他大学の「単位バンク認定科目」は,システムデザイン学部で後期に2つだけだった。2006年度は,同年6月現在で前期1つ,後期2つだけ(「首都大学東京黒書 世界のどこにもない大学」P.28)。宣伝文句と実態があまりにも違う目玉商品と言わざるをえない。

 
弱体化していた都立大

1999年,石原慎太郎が都知事に当選した年,都立大総長に荻上紘一氏が就任していた。2000年には,「包括的外部監査」の結果が発表され,都立4大学が約167億円の赤字であるとの発表がなされ, 本来なら全国国公立と変わらない水準だったにもかかわらず,大々的に赤字であることが東京都とマスコミにより強調された。2001年,ある学生団体が作成して学内配布されたパンフレットの記述の中に,「民主党の土屋たかゆき都議に対する人格攻撃が認められる」という学外からの圧力に対し,荻上総長は正式手続きを経ないままに学生処分を強行した。当時,図書館長,教養部長は,総長に抗議して辞任した。この処分は,荻上総長による知事に対する宥和策を示す象徴的事件であり,この一件で東京都は,強行路線に出ても「都立大の教員も大学生が騒がないことを確認した」。2001年,都立大が2級事業所に格下げになり,大学管理本部という1級事業所の下に置かれることになる。以後,B類廃止,都民カレッジ廃止と続き,「8・1事件」以前に,都立大はすでに十分に弱体化していた。

 
8・1事件

2003年8月1日,突然行われた石原慎太郎東京都知事の会見のこと。この会見では,2001年11月に発表されていた,知事の署名入りの「東京都大学改革大綱」 が全面的に覆され,「新大学構想」が発表された。 教員も学生もほとんどキャンパスにいない夏休みの最中を利用して発表されたこの「新大学構想」は,それまで大学と東京都側での話合いの中で妥協して作られてきた改革構想をすべて破棄するものだった。8・1記者会見は,文章がやたらに長く不明瞭なところから,完成原稿を読んだのではなく,「誰かに作ってもらったメモを見ながら」その場で即席になされたものであろう。大学と東京都側が表で大学改革構想を作っている間に,裏では「新大学の教育研究に関する検討会」という(西澤潤一学長予定者,前都立大総長荻上紘一,前科技大学長原島文雄などによる)別の専門委員会が組織され,「8・1記者会見」の準備をしていたと考えられる。結果的には,大部分の教員と東京都の職員がだまされていたことが2003年8月1日に判明した。また,この発表以後,東京都は大学側との話合いを拒否したところから,怒りを込めて「8・1事件」と呼ばれる。

 
ヴィジョンなき政治家とアイディアなき官僚

「首大とは何か」という問いに一言で答えるとすれば,「ヴィジョンなき政治家とアイディアなき官僚によって生み出されたグロテスクな "大学もどき" である」ということになろう。

石原都知事は,都立大改革を唱えた始めたときから首大の実現に至るまで,彼の作りたい「大学」とはいったいどんなものなのか,具体的なヴィジョンを示すことが一切できなかった。「まったく新しい大学」という選挙民向けキャッチフレーズを錦の御旗のように振り回すだけだった。

実際に首大構想を具体化したのは,もちろん官僚である。しかし,残念ながら,東京都の官僚達には,真の意味での新しい,価値ある大学を作るための素晴らしいアイディアなどありはしなかった。(学生として4〜5年の間どこかの大学に,おそらくきわめて受動的に在籍した経験以外に) 大学や学問のことなど何も知らない人々に,何かを期待するほうに無理がある。

知識もノウハウもない設置者の自己満足でしかない「まったく新しい大学」構想は,大量の教員流出 を引き起こし,相手方大学の協力を勝手に当てにした「単位バンク」制度は,案の定 少しも機能せず,わが国の最先端をいく「全教員任期制」は,(最先端をいかない) 他の多くの有力大学の存在がある以上,有能な人材獲得のための足枷でしかない。

新銀行東京」 だけでなく,「まったく新しい大学」からも目が離せない。

 
「首大」の皮肉

首都大学東京の「首(くび)大」という愛称は,自然発生的に生まれたもので,命名者の意図を確認することはできない。しかし,当然の推測として, 「教員が簡単にクビになる大学」という意味が込められていると考えられる。 [ちなみに,巷では,首都大学東京の英語名称は Capital University of Tokyo (略称 CUT) になると予想されていたが,この予想ははずれた。]

ところが,「首大」の実態は,「教員がクビになる大学」ではなく,「愛想を尽かした教員に逃げられる大学」であることが明らかになった (教員流出 カテゴリ参照)。 一部の積極的就任者の中からさえ,首大設立後ほんの数年で転出者が相次いでいる。なんとも皮肉な結果である。

なお,呼称が実態に即していないという点を認識しつつも,「首大」という愛称が既に広く人口に膾炙している現実を踏まえ,当会では引き続き「首大非就任者の会」という名称を使っていく予定である。

 
都立大の風景
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