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ある大学の死 ––都立大学教員はいかに敗れていったか
初見 基
2005年5月
[「世界」第739号(2005年5月)165-173頁 掲載]
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 二〇〇五年四月六日、東京都による新大学「首都大学東京」(以下「首大」)の入学式が開催されるという。この大学は、既存の都立四大学を廃学し、《まったく新しい大学》を標榜して設立されることになっている。
 東京都による新大学構想をめぐる、都立四大学、とりわけ東京都立大学教員側からの抵抗については、本誌掲載の川合康氏による報告をはじめ、すでに多くの文書が公表されている(本稿も参照した重要な典拠は末尾に挙げる)。ここでは、首大設置が文部科学省によって認可される以前に執筆された川合報告を踏まえつつその後の経緯を念頭に置き、都立大学人文学部を中心とした動向についての個人的な見解を記す。その基調は、東京都を批判した教員側の〈敗北〉を見据えたものになる。
 〈敗北〉という現状認識に対しては、いや、闘いは一定の成果をおさめ、いまは新大学を〈良い大学〉にすべく努める段に入っている、と主張する向きもあることは承知している。だが筆者の立場は、そうした〈転戦〉を肯わず、内実・手続きともに首大構想を拒否し、そこに動員されることに抗うものであることをあらかじめ明示しておく。
 以下ではまず、都立大学側が後退を強いられ敗北に到る事実経過を述べる。そして次に新大学構想の問題点を簡単に挙げ、最後に敗因をなすだろう教員内の様相を示す。
 なお本稿の記述内容はあくまでも個人の観点からのものであるが、少なからぬ部分を首大就任を拒否した教員たちと共有できるものと考える。

1 敗北への短い歩み ––「意思確認書」の蹉跌

 二〇〇三年八月一日の石原都知事による唐突な新大学構想発表以降、都立大学からの抗議の声は一時期盛り上がりを呈するかに見えた。ただその当時ですら、八王子市にあるキャンパスまで足を運ぶ奇特なジャーナリストは口を揃えて、構内の平穏さに失望混じりの驚きを示している。立看板ひとつあるでなし、アジやデモの光景など想像だにできないからだ。そして実際のところ多くの教員にとっては、どうということのない泰平な日々だったろう。
 それでも、同年秋から翌年三月にかけて、教員側からは十月七日付茂木俊彦総長声明をはじめ、評議会、教授会、専攻、助手会、教職員組合等々さまざまな単位で、さらに学生の間からも自治会、院生会、専攻さらには語学クラスなどからも、頻繁に質問状や抗議声明などが出され、それなりの昂揚がなかったわけではない。
 この際に重要なのは、これらが教員定員を半分以下に減らされる人文学部からだけでなく、法・経済・理・工の各学部、さらには科学技術大学と、拡がりを有していたことだ。そうした流れは既存の組織単位にとどまらず、学部と立場を越えた自発的・自律的な組織「開かれた大学改革を求める会」(西川直子代表)の継続的な活動、そして《開かれた協議体制》を訴え四大学教員の糾合を目指しその過半数を超える支持を集めた「四大学教員の声明」(一月二一日)などを生んでいった。
 その最大の山場にして決定的な転換点をなしたのが二月から三月にかけて、法的にはなんら根拠のない、そして勤務条件を含め新大学計画そのものがまだ漠然としたものであるにもかかわらず、新大学へ就任するか否かのいわば〈踏み絵〉である「意思確認書」の提出を迫られた局面だった。これには《改革である以上、現大学との対話、協議に基づく妥協はありえない》、《公に改革に批判を繰り返す人たち》は《新大学には参加すべきでない》という西澤潤一学長予定者・山口一久大学管理本部長連名の歴史的な「恫喝文書」が付随する。
 都側の方針にもとから協力的な前田雅英学部長(首大では都市教養学部長に任命されている)を擁する法学部ではすでに前年一一月に四名の教員が辞職するという異常な事態を迎えていたが、「意思確認書」問題においては、首大構想を推進する学部長方針と相容れない教員たちが諸個人の判断でその非提出を決め、また経済学部でもいわゆる近代経済学分野の教員のほとんどが非提出を貫いていた。それに対して学部全体の足並みが比較的には揃い、教授会で保留をしていた理学部が提出に転じたのに続き、同様に保留を決めていたはずの人文学部では教授会決定を経ないままに〈全員〉が提出という驚愕すべき事態が伝えられ、三月二九日には「意思確認書」を九六パーセントの教員が提出、という新聞報道がなされる。
 ここに名実ともに大学組織による抵抗は終熄に向かい、大学執行部のなかで東京都との対決姿勢を保っていた茂木総長、南雲智人文学部長らもあとは都からどれだけの妥協を引き出すか、という条件闘争に移ってゆく。
 「意思確認書」問題からは、今回の都立大学教員敗退の布置が明瞭に看て取れる。こうした局面で批判的な姿勢をとるよう期待されているらしい人々の動向を事情に疎い学外者からしばしば尋ねられるので、少し具体的に示しておくなら、法・経済学部とも、この露骨な恫喝に正面切って抗う教員は相対的少数派であり、学部内意見は実質的に分裂、法学部政治学専攻は前田学部長の路線に追随し、経済学部のいわゆるマルクス経済学者も早々と都への協力体制に入っていた。
 人文学部では社会学系の教員の大方は沈黙を守るか、都の方針に断固と異を唱えることにむしろ否定的な意見を突出させた。さらに教授会で「意思確認書」の扱いは個人の判断とせず当面学部全体で保留することを決定していたにもかかわらず、ほとんど全員が提出する一部専攻すらあった。これが、「意思確認書」非提出で学部意見をまとめられなくなった人文学部長が、あくまで非提出の堅持を表明していた教員をも含めて〈全員提出〉という離れ業に打って出た背景である。
 人文学部長のこの〈政治判断〉は、都との軋轢が増して攻撃が激化することに不安を覚えていた多くの人文学部教員に歓迎される一方で、都側を原則的に批判してきた教員からは執行部への打ち消しがたい不信感と、以後の抵抗への意気阻喪を呼ぶ。署名も捺印もした覚えのない自分名義の「意思確認書」が意に反して提出されているらしいこと、それにもかかわらず大局を考慮すれば〈文書偽造〉を公然と告発しえないことへの絶望感は計り知れないものだった。またそれにとどまらず、闘いの場は次の「就任承諾書」に移った、という人文学部執行部の判断はしかし、法・経済学部の非提出教員を孤立・分断させることになる。さらに学生間でも、当事者である教員自身にすら説明のできない不透明な経緯は教員不信を募らせた。
 この後、二〇〇四年七月に向けて、文部科学省への新大学認可申請のために必要となる教員の「就任承諾書」が一争点となる。その過程で人文学部教授会は、新大学への就任承諾を判断する条件として新大学院の枠組み、教員の身分・雇用条件、教授会権限の三点を明快にするよう求める決議を行なうものの、最終的には要求項目への都からの回答も曖昧なまま人文学部長は教員に新大学への就任を促し、最後の〈武器〉だった「就任承諾書」を多くが提出する。
 都立四大学教員五一〇名のうち「就任承諾書」非提出者は二五名と報道された(七月三日付毎日新聞)が、実際にはそれ以前に「意思確認書」非提出の法・経済学部教員の他、辞職、他大学への転出などによって一〇〇名以上の教員が首大への就任をしていない。さらに、「就任承諾書」を提出することで首大設置に協力をしながらも、同時に自らの身の安全を確保すべく他大学へ脱出する教員も出ており、今後もそれは後を絶たないと予測される(教員の非就任・流出についての詳細な報告が「首大非就任者の会」サイトに掲載されている)。
 人文学部長らはこの間の「就任承諾書」などを用いた政治的駆け引きによって都庁との一定の〈協議体制〉を勝ち得たと自負しているようだ。しかし見方を変えるなら、首大発足が現実に近づくにしたがい、教育についてまったくの素人集団である大学管理本部にはカリキュラム、入学試験等の作業をこなすことはとうてい無理であるため、予定通りに開学準備を進行させるためには教員側の〈協力〉が不可欠になっただけだとも言える。厳しい評価をくだすなら、首大構想の本質は変わらないまま具体的な肉付け作業に教員が都合好く利用されているという事態だった。
 一方、非就任者が出たことに基づく書類不備を理由に七月の早期認可は見送られたものの、いったん殺がれた首大構想批判への志気がふたたび盛り返すことはなかった。混乱を引きずったまま新大学設立と現存大学をも含めた法人化を強行した場合、現在在学している学生におおきな不利益が降りかかるとともに、新大学学生にとっても不幸でしかないことを憂慮した「開かれた大学改革を求める会」有志の教員・学生が八月には新大学発足を一年延期して周到な準備体制を整えるべきであると提起、大学設置・学校法人審議会への働きかけなどを行なうものの、すでに新大学への協力体制に入っているほとんどの教員から黙殺される。そして九月二一日に設置審より認可答申が出され、同月三〇日、文科大臣より首大の正式認可がくだされる。
 これを受けて一二月都議会では「東京都立大学条例等を廃止する条例」などが自民、民主、公明の与党三党及び生活者ネットワークの賛成によって可決され、二〇一〇年度まで存続する現行都立大学も新法人のもとに組み入れられ《教授会は総長・学部長選出や教員人事の権限を失うことになる》(一二月一四日付毎日新聞)。しかしこれに対して大学教員側はもはや有効な手を打てなかった。
 この議会答弁では在学生の将来にわたる教育保障への要求に対して《配慮する》との管理本部からの発言が引き出されはしたものの、常のごとく具体性のない空証文でしかないことはその後の無策によって証明されている。指導教員の転出や研究費削減による図書の買い控えといった切実な問題を抱えた学生たちは、その後も学業のかたわら時間をやりくりして粘り強く都と大学当局への働きかけを継続している。


2 破壊と将来像 ––東京都の大学政策

 東京都による都立大学解体・首大設立については、計画内容の杜撰さ、それを進める手口の乱暴さ等、すでにさまざまな指摘が為されている。ここではそれらを網羅して繰り返すことはせず、第一段階としてのやみくもな大学破壊と、第二段階としての今後の首大という二点についてかいつまんだ指摘をするにとどめる。
 まずもって言えることは、東京都大学管理本部の方針は説得性も首尾一貫性も欠いていた。もしも〈改革〉を唱えるなら、現状のどこに弊害がありそれを取り除くにはどうするのが最善であるか、冷静な分析・判断に拠って為されるべきだ。ところがそのような労を踏んだ形跡は認められない。そもそも説明責任・情報公開といういまや常識化した手続きすら端から等閑視された〈改革〉だった。
 もちろん今回の大学破壊が、教員定数を減らすいわゆるリストラの一環であったことは疑いない。しかしこれまで進められている限りでそれは経済効率という基準ですら合理的ではなく、首大への教員配置ひとつ見ても、都の論理からするなら当然為されているべき教員の教育・研究についての厳正な審査に基づくものではおよそない。これがたとえば、《効率追求、市場メカニズムの利用》を謳う近代経済学グループと〈社会に直接は役立たない〉と見なされがちな文学専攻教員との間での対立ということなら話はまだ判る。しかし事実は皮肉にも、近代経済学グループはこの間もっとも強硬な首大反対の動きを示したなかに属している。
 また、《都心への展開》《都市型人材の要請》といった謳い文句にしても、一九九一年に目黒・世田谷両区にあったキャンパスから多摩ニュータウンの一角へと都の方針に基づいて移転したこと、一連の大学改革のなかで都立大学B類(夜間課程)の廃止も強要してきたこと、あるいは、生涯学習機関として都立大学教員を中心として運営されていた都の外郭団体「都民カレッジ」を二〇〇一年度で一方的に廃止しつつ首大ではふたたび社会人教育機関として「オープンユニヴァーシティ」を設けていること、などと、ことごとく整合性を欠いている。これらの新大学での案を妥当とするなら、それは過去の都の措置が失政・愚策だったことを意味するはずだが、そのような反省のうえに立っているのかどうかも定かでない。
 さらに、大々的に喧伝されている《単位バンク制》は、授業科目への実質的な検定制度である以外には、ほとんどまともに機能するに耐えるものではないと予想される。《全寮制》案なるものもいつの間にか立ち消えになった。
 こうした諸点を鑑みるなら、思いつきだけの勢い良い情緒的な言葉を突破口として現状打破をはかり、とはいえそれ以上の政治的構想力を持ち併せない政治家の横行するなかに、石原都知事も位置していることがよくわかる。軍事・政治・経済のなんであれ権力を掌握した者には何でも許される、公共的な事柄をも恣意的に弄ぶことができる、という権力者の奢りが是認される一般的風潮のなかでの大学破壊だった。その際に《設置者権限》を根拠に教員の意見は封殺されたのだったが、しかしやはり〈都立〉であるからには大学も首長のものではなく都民のものであり、長期的視野に立った都民への還元が追求されるべきだ。都が設ける大学の理念として私見では、国立大と異なり文科省管轄から距離があることを活かし、高度研究機関としての質を維持しつつ、経済格差・身体障害・年齢・性別・国籍・来歴・職業等々の障壁の無化をはかる、いわば広義の〈バリアフリー〉の大学が真摯に模索されるべきだったし、それを実現に近づける条件は存在していた。いまではもはや夢物語になってしまったが。
 しかしこうした批判がどうしても虚しいのは、都立大学破壊がいかに甚大な損失であったかがこれから先に判明しようとも、それに対して責任を取る主体がないことだ。都知事の汚名は後代まで語り継がれようとも、損害補填をすることはないだろうし、破壊の陣頭指揮者だった山口大学管理本部長はすでに主税局長にご栄転済みである。組織そのものが近々解散される大学管理本部職員の誰も大学破壊に手を貸した未必の故意を問われることはない。
 さて、こうした〈理念〉なき破壊の後で、しかしこれからの首大が進む方向性は次第に輪郭を表わしており、開学後はよりいっそう明確化するだろう。
 第一に、普遍的な知を追求してそれを伝達してゆくことを志す自立した組織としての大学像は退けられ、産業界と直接に結びついた、というよりは、産業界の下請けとしての大学がつくられてゆく。工学系にそれが求められるのはもとより、法学や経済学でも都の政策への奉仕が優先される。そうした社会的有用性の基準は短期的な変化を被るものであるため、基礎学問は場を持ちえなくなる。
 第二に、利潤追求という企業的な発想での経済効率を優先した大学経営によって、これまで学生アンケートなどでも高い評価を得ていた少人数教育や低額の授業料はもはや首大ではありえなくなる。それは教育面では、体系的な教育体制を不可能にし、英会話の外部委託などに現われているように知識・技術の切り売りで事足れりとされる。
 そして第三に、経営者としての法人理事長の圧倒的権力のもとで、教員・学生の自治は剥奪され、思想・信条の自由すらない管理体制が強化されてゆく。
 この三月に示された「公立大学法人首都大学東京」(新大学である首大のみならず、既存四大学も廃学までの期間このもとに置かれる)の教職員就業規則では、「服務規律」として、教職員が学内で《文書又は図画を配布しようとするときは、あらかじめ任命権者に届け出、任命権者の許可を得なければならない》《任命者の許可なく、学内で業務外の集会、演説、放送又はこれらに類する行為を行ってはならない》等々と定められ、また《法人の名誉若しくは信用を失墜させる行為》も禁じられている。これによって理事長や学長を批判することはもはや許されず、ビラまきはもとより、文言通りに取るならば、業務外で数人が歓談するにも授業で教材の印刷物を配布するときにすら許可が必要となる。こうした恐怖政治像があながち誇張でないのは、規則のなかに懲戒の手続きが具体的に示されていない以上、その適用はいくらでも恣意的に行なわれうるからだ。
 もうひとつ加えるなら、都立大学の独文・仏文を敵視し文学科五専攻を廃絶する一方で、石原都知事は《文化学科》設立を構想していると伝えられる(一月五日付産経新聞)。《趣味性もある教養人》育成を目指すようだが、従来の文学専攻あるいは哲学・史学なども含めた広義の文献学的な学問分野は趣味人養成の場であるはずもなく、テクストと厳密かつ精確に渉り合う技術に基づき批判的思考をめぐらせるところに本領があることを思えば、確かに後者は首大にふさわしくなかった。
 《文化学科》が担うことになるだろう《江戸・東京学》(芳賀徹法人評価委員の主張)といった人畜無害そうな言説も、その主唱者たちの従来の言動からするならば、他者の痛みへの感受性――それが〈国際化〉の意味でもある――を欠如させた内向きの自己愛に浸り、負の歴史を忘却した無批判的な〈文化〉との係わりに繋がるのではないか、と疑ってかかる充分な根拠はある。そして実際に都知事の意向を逸早く先取りして、授業時に学生の前で〈自虐史観〉批判を垂れてみせる教員すら現われていると伝え聞く。


3 生活保守と思考停止と ––動員される教員

 今回の都立大学問題は、ほとんど同時期に中田宏横浜市長のもとで強行された横浜市立大学改変と並び、公立にとどまらず日本全国の大学の今後に影響を与えかねない重大な事件だったと考えられる。それにもかかわらず、たとえば東京教育大学が廃止されて筑波大学が新設されたときなどと比べ、波風少ないままに事は運ばれた。
 こうした帰結だけからするなら、教員のほとんどが東京都の新大学構想をおおむね是認したか、そうでないなら東京都庁側が絶大な力によって教員を制圧したか、と見なされて当然だろう。だが事実はそのどちらでもない。文系・理工系にかかわらず、今回の首大構想がこれまでの都立大学を凌ぐ優れたものとなると考える教員はまずいない。また、大学管理本部のやり口が強引かつ粗暴であったことは事実であるにしても、それでも「旗」や「歌」への恭順を迫られ剥き出しの暴力によって内面まで侵蝕されている都立高校の実態などに比べればまだまだ穏和だったと呼ばなくてはならない。
 では、手続き的にも内容的にもきわめて難ありの首大設立が、どうしてまたこのようにあっけなく進行したのか。端的に述べれば、〈上〉からの強圧に応ずる〈下〉の構造があった、ということだ。換言するなら、自らの立つ場を超越的に捉え返すべき規範性を欠落させた姿勢によって、教員たちは首大体制のなかに取り込まれていった。
 ごく一般的に言うならば、大学教員というものは大学運営などというものに、そして自らの専門分野以外の事柄に基本的に無関心であることは否めない。それが広く〈生活保守〉の心性と結びつくとき、つまり少しでも楽に高い収入を得られれば良しというそれ自体は一概に否定されるべきでない感情が前面に出てくるなら、どのみち仮初めの栖でしかない職場の全体や未来がどうなろうと問題でなくなる。自分の定年退職時までなんとか持ちこたえてくれさえすれば。
 こうした〈自己保存〉の力学は、都からの攻撃にさらされるなかで組織的にも現われた。「意思確認書」をめぐって紹介したように、およそ屈辱的とも言える脅しを突きつけられながらも反撃を忌避し、法科大学院設立のなかで専攻の存続を確保しなくてはならない政治学や、マルクス経済学のように地盤沈下にある学問分野は、善意に解すれば〈組織防衛〉に走ったのだろう。人文学部内でも専攻によって利害が異なることで、〈下手に楯突いてどうせ潰れる文学系に巻き込まれるな〉と囁かれては〈連帯〉など成り立ちようもなく、〈闘わない〉姿勢が蔓延した。そればかりか教授会での決定すら遵守されなかった件についてはすでに触れた。自分たちの学問分野そのものが否定された文学系教員にあっても〈主戦論〉はごく少数派にとどまったため折につけ牽制を受けざるをえない一方、身近に見られる多数の教員は重要な局面ですら指一本動かそうともしないまま総長や学部長らにことごとく判断を委ねる〈執行部任せ〉、あるいは文科省から首大の設置認可がくだされないことに希望をつなぐ〈設置審任せ〉などなどの〈思考停止〉状態を呈していた。こうして概して、社会科学が決して〈社会批判の学〉として機能していないことが、あるいは、元来は現実との緊張関係のなかで鍛えられた理論を他国から移入し口真似してみせたところでいまここでの生と何の関係もしないことが、改めて露呈されていった。
 実情を直視するなら、こうした教員組織を抱えた総長ら大学執行部ばかりに闘う姿勢を要求するのも確かに酷というものだ。ただそれでも、執行部たるもの危うい〈政治判断〉の綱渡りに賭けたり、〈現実〉に拝跪するあまり人文学部における「意思確認書」〈全員提出〉に見られるごとき規範性を欠いた小手先の〈戦術〉を弄するべきではなく、原則を堅持し、誰にでも説明できる〈理〉に基づいた決定をくだすべきだった。
 〈大学などぶっ壊す〉といった都知事の乱暴な発言に妙に萎縮するあまり筋を曲げてみせる大学執行部の無原則ぶりは、すでに二〇〇一年の学生処分問題で明らかになっていた。これは関係者の口からいつか語られることがふさわしいと思われるが、ある学生団体が作成して学内で配布した少部数印刷のパンフレットの記述に民主党の土屋たかゆき都議に対する人格攻撃が認められるとの理由で、執筆学生への処分圧力が学外からかかり、当時の荻上紘一総長は〈政治判断〉に基づきこれを受け容れ、本来踏まれるべき正式手続きを経ないままに学生処分を強行、総長に抗議した図書館長・教養部長が辞任するに到った事件だ。〈改革〉を迫られているさなか、東京都の強権を恐れるあまり一時しのぎによって嵐をやり過ごそうと自主規制に走る大学執行部の卑屈な姿勢が、こうして白日のもとにさらされたのだった。
 とは言うものの、それでもまだ都と大学との対立図式が曲がりなりにも成り立っていたときは構図が判りやすかった。大学執行部の先導下に首大への就任を決めた教員たちによって新大学発足に向けた具体的な作業が開始され、それも短期間内に着実にこなしてゆかなくてはならない制約のもと、いまや局面は大幅に変わった。とりわけこれまで都の構想を批判し、学生の教育保障を求めていた教員たちは、その半面で当の構想に加担せざるをえないという苦しい立場に置かれている。しかしこのように引き裂かれた己れの姿に自覚的な例はむしろ稀であり、多くが嬉々と、あるいは本人の意識ではしぶしぶと、協力体制のなかで営々と自らの場を築いているようだ。主観的にはどうであれ外から見るならば、〈上〉からの要請を動員体制のなかでしっかと受けとめる結果になっている。
 高度な情報化社会にあっては蒙昧な信仰を求心軸とした大量動員はもはや困難で熱狂的な全体主義体制は成立しにくいものの、それでも嫌々ながらでは力とならない以上は参加してゆく者にとってのなんらかの積極的な意味づけが必要となる。そこである者は少しでも優遇を得ようと、またある者は〈良い大学〉にするのだと自らに言い聞かせ、と動機づけはさまざまになるにせよ、それでも進む方向性が揃っているなら協力体制は形成される。
 その際に、首大は問題だらけだからこそこれを〈良い大学〉に変えてゆくのだという善意の行為をどう評価するかは難しい。いったいそれが本当に根底的な変革となりうるのか、欠損の補完によって否定するべき対象に貢献しているだけではないのか、今後の推移のなかではっきりするはずだ。
 しかしともあれ、いくら面従腹背を気取ったところで〈存在によって意識は規定される〉面があるとは肝に銘じておいて良い。現に、いまや首大を笠に着た教員が四月以降全学で一〇人ほどと圧倒的な少数派となる非就任者を攻撃し悪罵を放っているお寒い光景すら繰り広げられている。これは異常な例であるにしても、流れに抗した規範的な立場をいったん崩すやそれが無限後退へと陥り、ごく消極的に日常業務をこなすというだけでも現状是認の渦へと巻き込まれることになり、もはや身をもぎ離すことのできない〈全体〉のなかでがんじがらめになってゆく、そのような過程が着々と進行していることは確かだからだ。


主要参考文献

  1. 川合康 都立新大学問題――何が起こっているのか(「世界」二〇〇四年七月号)
  2. 東京都立大学経済学グループ 都立新大学構想の評価と経済学者たちの選択(同)

主要参考ウェブサイト

  1. 岡本順治 都立大の危機――やさしいFAQ(http://tmu.pocus.jp/
  2. 首大非就任者の会(http://www.kubidai.com/
  3. 開かれた大学改革を求める会(http://www.geocities.jp/hirakareta_daigakukaikaku/
都立大の風景
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